首位打者、打点王を各1度獲得した阪神の今岡誠内野手(34)が今季限りで引退することが8月31日、分かった。真弓新体制の下で打撃復活を目指したが、23試合出場で打率1割3分3厘と低迷から抜け出せなかった。6月4日に2軍に降格し、その後は若手育成の方針のもと、実戦機会の場さえ失っていた。03年に首位打者、05年に打点王に輝き、2度のリーグ優勝の功労者が、プロ生活13年でタテジマに別れを告げる。

 1つの時代を築いた背番号「7」が静かにバットを置くときが来た。チームが若返りを進める状況で、今岡は2軍でも7月以降、出番が激減していた。今後の去就に関して、水面下で球団側と協議。球団関係者は「来年、タイガースや他球団でプレーすることはない。今年限りで、という話になった」と言う。方向性は固まり、今岡が自らの決断を近く表明する。

 天才的なバッティングは、とうとう復活しなかった。陰りが見え始めたのは、06年のシーズンから。右手中指のバネ指(けんしょう炎)に悩まされ、手術も受けた。しかし微妙な感覚に乱れが生じたのか、次第に打撃は低迷。同じ背番号7で縁のある真弓監督が就任した今季は「結果がすべて」と背水の思いで臨んだ。春季キャンプでは三塁から一塁へのコンバートを受け入れ、若手とともに練習試合にも出場。プライドを捨てて、再起を図った。開幕からは代打起用が主だったが、23試合で打率1割3分3厘。6月4日に出場選手登録を抹消された。以後は1軍昇格の候補に挙がることなく、事実上の構想外となっていた。

 今季限りで引退することになるが、残した実績は色あせない。星野監督時代には、1番打者で能力が開花。03年には打率3割4分で首位打者を獲得。岡田監督の下では、主軸も務め、05年には球団新の147打点でタイトルを獲得した。両年のリーグ優勝は、今岡の存在なくしては語れない。96年ドラフト1位で入団した逸材は、猛虎の歴史にその名を刻んだ。

 球団はこれまでの貢献度の高さを評価し「功労者」として引退セレモニーの実施を検討している。あくまでペナントレースの動向次第となるが、セレモニーを行う場合は、本拠地で行われる10月3日のヤクルト戦、同4日の中日戦が有力だ。卓越した打撃センスの持ち主であり、複数の内野のポジションをこなすなど経験は豊富。将来の指導者としても、大きく期待されている。阪神は桜井や狩野の成長で、3位争いを演じるまで戦力を整えてきた。その盛り上がりの中で、天才打者は愛したタテジマのユニホームを脱ぐ。

 [2009年9月1日8時25分

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