リオ五輪マラソン代表の佐々木悟氏が亜大コーチ就任会見「走りながら指導します」

スポーツ報知
亜大陸上競技部のコーチに就任したリオ五輪マラソン代表の佐々木悟コーチ(左から3人目)は亜大復活に意欲を示した(左から長浜尚史・陸上競技部部長、大島正克学長、佐々木コーチ、佐藤信之監督)

 2016年リオ五輪の男子マラソン日本代表として日本勢最高の16位だった佐々木悟氏(35)=旭化成=が6日、東京・武蔵野市の亜大キャンパスで、亜大陸上競技部コーチ就任会見を行った。佐々木コーチは昨年12月6日の福岡国際マラソンを2時間14分29秒の20位で走り終えた後、引退を表明。「走れるうちは一緒に走りながら指導したい」と話し、2010年を最後に箱根駅伝出場から遠ざかっている亜大の復活に意欲を示した。旭化成の先輩でもある亜大の佐藤信之監督(48)を支え、チーム強化に全力を尽くす。亜大広報は「旭化成から出向の5年契約。5年後に再度、話し合う」と説明した。

 秋田工出身の佐々木氏は大東大時代、チームの主力として奮闘した。1~3年時は5区を走り、3年連続で区間6位。4年時はエース区間の2区を担い、区間10位だった。卒業後、名門の旭化成で着実に成長し、30歳の時、リオ五輪に出場した。引退したばかりの佐々木氏は指導者としては未経験だが、箱根駅伝でも実業団でも豊富な経験を持つ。4月2日、旭化成の本拠地がある宮崎・延岡市から宮崎空港まで見送りに来てくれた宗猛総監督(68)から「走れるうちは選手と一緒に走りながら指導した方がいい」とアドバイスを受けた。「福岡国際マラソンが終わった後、全く走っていませんでしたが、走り始めました。学生の後ろを走って、感じたことを伝えて、指導したい」と佐々木コーチは笑顔を交えて話した。若い学生ランナーにとって、世界を知る佐々木コーチの存在は好影響を与えることは間違いない。

 亜大は2006年の箱根駅伝で初優勝を成し遂げたが、近年は低迷が続く。昨年10月、ハーフマラソンの上位10人の合計タイムで10枠の本戦出場権を争う箱根駅伝予選会では通過ラインと12分39秒差の20位に終わり、10年連続で本戦出場を逃した。亜大が箱根路を制した2006年、佐々木コーチは大東大2年生で5区6位、大東大は12位でシード権を逃した。亜大の黄金期を身を持って知る佐々木コーチは「当時の亜大はとても泥臭い練習をしているイメージがありました」と話す。しかし「今、それをそのまま押しつけるようになことは考えていません。学生と一緒に考えながら指導していきます」と柔軟に話した。

 佐々木コーチの母校、大東大も2年連続で予選会で敗退し、苦戦が続いている。10月の箱根駅伝予選会ではライバルとなる。「今、亜大のコーチになったので、亜大を復活させることしか考えていません。まず、亜大が復活し、それを糧にしていただきたい」と佐々木コーチは、母校の大東大に対して、ライバル意識を隠すことなく話した。

 佐藤監督は「佐々木コーチは選手時代にとても安定していた。リオ五輪でも持てる力を出し切った。人間力の強さを学生に伝えてほしい」と新コーチの手腕に大きな期待を寄せる。「佐々木コーチも加わり、大学の期待を強く感じています。今年のチーム目標は箱根駅伝予選会突破です」と佐藤監督は力強く話した。

 亜大は昨年9月にケニア人のパトリック・ムワカコーチ(28)が就任。昨年4月まで実業団の愛三工業に所属していたムワカコーチは5000メートル13分21秒45、1万メートル27分33秒14の自己ベスト記録を持つ。まだ、28歳と若く、現役バリバリのムワカコーチは学生を引っ張りながらチームのレベルアップをサポートしている。

 1999年世界陸上男子マラソン銅メダルで2000年シドニー五輪日本代表と抜群の競技実績を誇る佐藤監督、現役バリバリの走力を持つムワカコーチ、さらに佐々木新コーチの指導体制で箱根駅伝復活出場を目指す。

 ◆佐々木 悟(ささき・さとる)1985年10月16日、秋田・南外村(現大仙市)生まれ。35歳。南外中から陸上を始める。2004年、秋田工から大東大に入学。箱根駅伝は4年連続出場し、1~3年はいずれも5区6位、4年時は2区10位。08年に卒業し、旭化成に入社。15年の福岡国際マラソンで生涯ベストとなる2時間8分56秒で日本人トップの3位に入り、リオ五輪代表に選出された。リオ五輪では2時間13分57秒で日本勢最高位の16位だった。20年の福岡国際マラソン終了後に引退を表明。2021年4月に亜大コーチ就任。171センチ、56キロ。

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