若者たちが日曜の午後を楽しんでいる。広東語と英語が飛び交い、哄笑(こうしょう)が沸く。英国のバンドが奏でる軽快なポップスが流れる。食器が鳴る音に混じって、時折、エスプレッソマシンから蒸気が抜ける音が響く。

 9月22日、日常の喧騒(けんそう)に溢れた香港・湾仔(ワンチャイ)の喫茶店。だが、奥のソファに腰掛けたその男は、周囲の客に声を聞かれたくないのだろう。テーブルに身を乗り出しながら、私にしか聞こえないような低い声で囁(ささや)くように語り続けた。

田北辰議員。日曜の午後だったからか、カジュアルなシャツにハーフパンツという軽装で現れた。(写真/的野弘路)
田北辰議員。日曜の午後だったからか、カジュアルなシャツにハーフパンツという軽装で現れた。(写真/的野弘路)

 田北辰。香港立法会(国会に相当)の議員を務める。手元の名刺を確認すると「港区全国人大代表」とある。「全国人大」とは全国人民代表大会の略称で、日本でいう「全人代」。「港区」は香港特別行政区を意味するので、つまり田は、議員の中でも全人代に選ばれている親政府派の議員と言っていいだろう。

 日本での報道は減ったが、香港では依然としてデモ隊と警察の衝突が続いている。香港政府は9月4日にデモのきっかけになった「逃亡犯条例」改正の撤回を発表したが、収まる気配はない。香港の若者たちは何を求めているのか。なぜデモは収束しないのか。それを知りたくて、デモの現場に立ち、若者や民主派議員に取材を続けていたところ、「親政府派」といわれる田が取材に応じた。

 およそ1時間。インタビューというよりも、田は一方的に話し続けた。彼の発言には、私の価値観では納得できるものもできないものもあったが、悲壮なまでのリアリズムがあった。彼が何を語ったかについてはこの連載の後段でつまびらかにしたい。

 ただ、周囲の耳を気にしながらも、外国人記者である私の急な取材要請に応えた彼の幾つかの発言には、時がたつと意味を失うものがあった。その言葉だけはここに先に記しておこう。

 「私の集めた複数の情報によると、習近平と中国政府は、もう10月1日(記者注:中国の建国記念日、国慶節)までにデモを無理に収束させる気はないようだ。10月1日には世界のテレビに(国慶節を祝う)軍事パレードで装甲車が走る姿と、香港でデモ隊と警察が衝突して催涙弾が空を飛ぶシーンが同時に映ることになる。それでいい、と考えていると思う。それによって、中国政府がそれを許すほどに『一国二制度』を守っているということを示せる、という考えだと思う」

 中国政府にとって最も重要な記念日の1つである10月1日。その日を迎えるまでに同政府は、メンツに懸けて、実力行使もいとわずに事態収束を試みるという観測があった。田はそうした見方を否定した。この記事が出るのは9月24日。田の発言の当否は、この連載を続ける中で明らかになっていくだろう。

ここ数カ月で10人前後の若者が死んでいる

 これから、少なくとも本稿を含めて8本ほどの記事を連載「香港2019」として書いていく。

 日本ではほとんど報じられることはないが、香港のデモでは、ここ数カ月で少なくともすでに10人前後の若者が死亡している。デモ鎮圧のために装甲車は出ていないし、警察や軍の銃から実弾が市民に向けて放たれたことは一度もない。彼ら彼女らは自ら命を絶った。

 政治を理由に自死を選ぶということに対する想像が私には及ばなかった。そこには、どれだけの絶望と怒りがあるのか――。

 9月21日の夜、香港郊外の街・元朗(ユンロン)で警察とデモ隊の間に立った。黒ずくめ重装備の警官たちはデモ隊を威圧し、デモ隊は罵声と怒号で応えた。挑発に怒ってデモ参加者に殴りかかろうとした警官を同僚が羽交い締めにして止めている姿も、警察車両に投石する若者の姿も見た。午後10時を過ぎた頃、目の前で催涙弾が放たれた。

警官たちが防毒マスクを装着した。デモ隊も催涙弾に備え始める。(写真以下3点/的野弘路)
警官たちが防毒マスクを装着した。デモ隊も催涙弾に備え始める。(写真以下3点/的野弘路)
警告後に催涙弾が放たれた。火花が散り、煙が立ち込める。
警告後に催涙弾が放たれた。火花が散り、煙が立ち込める。
刺激臭の強い気体を吸い込むと咳が止まらなくなる。防毒マスクをしていると楽だが、露出した肌が熱く痛む。
刺激臭の強い気体を吸い込むと咳が止まらなくなる。防毒マスクをしていると楽だが、露出した肌が熱く痛む。

 もはや修復不能と思われるほど、抜き差しならない対立と言っていいだろう。催涙ガスが目の粘膜と気道と肌を刺す痛みを感じ、止まらない涙と咳(せき)に苦しみながら、私はかつて住んだこの街を覆っている対立と断絶の深さを思わずにはいられなかった。もう引き返すことはできないのか――。

 デモが暴徒化している、という報道がある。欧米社会や日本を訪れて「民主化」への支援を求める黄之鋒や周庭などの若いアイコンにインタビューする記事もある。だが、それぞれが伝えているものは、香港で起きていることのほんの一面でしかない。

 この連載では、香港でいま起きていることについて、記者の力量に余るが、出来事それ自体を散発的に報じるのではなく、その出来事を生んでいる構造について少しでも明らかにしていくことを試みたい。英国からの返還以来、香港というシステムが宿命的に抱えてきた構造についても触れることになるだろう。

 なお、自殺についての報道には、追随者を出さないための正しい配慮が必要とされる。これを逸脱した香港内でのセンセーショナルな報道、もしくはSNSでの伝播(でんぱ)によって追随者が増えている可能性がある。ただし、この連載は日本語で書かれ、主として日本人に読まれるものであり、本記事によって追随を引き起こす可能性は低いと考えている。香港社会と今回の騒動の構造を書く上では避けられないと判断する範囲で、上記のガイドラインになるべく抵触しないように配慮しながら、自殺についても連載記事の中で扱う可能性があることをあらかじめお断りしておく。

 また、そもそもデモのきっかけとなった「逃亡犯条例」とは何か、なぜデモが起こったのか、というところから知りたいという方は、この連載を読む前に6月13日に配信した「香港デモは「最後の戦い」、2014年雨傘革命との違い」をご一読いただきたい。

 今日これを書いている間(9月24日午前)にも、9月21日にインタビューした民主派議員・鄺俊宇が香港郊外の天水圍で暴漢に襲撃され、病院に搬送されたというニュースが飛び込んできた。香港での情勢が動き続けているため、いま予定しているかたちで記事を書いていけるかどうかは分からない。変更もあると思われるが、今のところ以下のようなかたちで書き進めていきたいと考えている。

 次回に続く。(敬称略)

連載「香港2019」の掲載予定記事

・親政府派議員の囁き「習近平は香港デモを潰さない」
・眠らない街で催涙弾の霧の向こうからゴム弾が襲う
・ある青年の死、黄色いレインコートが200万人を動かした
・冷静を失った香港警察、不信の応酬、地下鉄駅で消えた3人
・相次ぐ自殺、装甲車でなく社会に殺された10余人の若者たち
・形式だけの法治主義が残した傷、無力な香港基本法
・親政府派議員が声を潜めて語ったリアリズム
・首から下だけ写真に映ることを許した若者たちが語ったもの

※お断りなく上記の掲載予定を変更することがあります

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