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「あなたが苦しいのは社会システムが狂ってるからです」東大教授・安冨歩の発言になぜ共感が集まるのか

石井志昂『不登校新聞』代表
東大教授・安冨歩さん(撮影・全国不登校新聞社)

 今年の1月15日、私が編集長を務める『不登校新聞』では、東大教授・安冨歩さんのインタビューを掲載しました。

 編集部の想像以上に反響が大きくとても驚きました。

 PVだけで比較してみると『不登校新聞』の記事1本あたりの平均PVは800PV。それに対して、安冨さんのインタビュー記事は1万7000PV(発行日より2週間で測定)。ふつうの記事の20倍以上、読まれたわけです。

 ツイッターでも、さまざまな反応がありました。個人的に一番驚いたのは、タレントの小島慶子さんのリツイートです。

 インタビューを読まれていない方には「ポケモン」がなにを意味しているのかわからないかと思います。そこで安冨さんのインタビュー記事の一部を紹介いたします。

【インタビュー】東大生より不登校のほうが人生を始めやすい理由

安冨歩さん(撮影・全国不登校新聞社)
安冨歩さん(撮影・全国不登校新聞社)

――安冨さんは著書で「人は、自分自身でないものフリをしているからつらくなるんだ」と指摘されています。なぜこのような指摘をされたのでしょうか?

 「自分自身になる」というのは、いわゆる「自分探し」のことではありません。「自分探し」なんてするだけムダです。だって、そもそも人は自分自身以外のものにはなれません。

 でも多くの人は、想像力によって「自分じゃないもの」になりすましています。それをやめればいいだけなんですが、これがなかなかやめられないはずです。親に、そうなれと教え込まれているんです。

 私の場合も「親の教え」にみごとにはまって京都大学へ入り、一流企業に就職しました。でも、京大に合格しても一流企業へ就職しても、全然うれしくなかったんです。

 なぜうれしくなかったのかと言えば、そのときの私が「自分自身」ではなかったからです。「自分じゃないもの」がいくら成功したって、私がうれしいはずもありません。

◎つくられた自分だから

 ゲームの「ポケモン」ってあるでしょ。受験や就職で戦っていたのは、私じゃなくて私の「ポケモン(社会に適応するためにつくられた自分)」だったんです。成功しても、それは私ではなく私の「ポケモン」が成功しているだけなので、うれしくないんです。私だけでなく、ほとんどの人がそうなんです。子どもは親の「ポケモン」だし、戦っているのは、その子自身の「ポケモン」なんです。

 不登校・ひきこもりを生きる、というのはたいへんな苦悩を伴いますが、じつは私が教えている東大生も、内面の苦悩は、ほとんど同じだと感じています。前者は「自分自身じゃないもの」になろうとしてなれずに苦しみ、後者はなりきって苦しんでいる。でも「自分自身じゃないもののフリ」をすることをやめないかぎり、自分の人生は始まりません。

――私自身も「自分自身じゃないもの」になろうとして苦しかった時期があります。なぜ人は「自分自身じゃないもの」をやめられないのでしょうか。

 先ほども言ったように、子どものときから「親」に仕込まれているから、やめたくてもやめられないんです。

 親になっている人は、現代社会のシステムに適応しているから「親」になれるんです。システムに適応している人が子どもを産むので、わが子もシステムに適応させようと思う。たいていの場合、それが子どもの苦しむ原因です。

 もちろん、それは不登校の親にかぎったことではありません。ほとんどの人は狂ったシステムのなかで平然と生きています。現代の社会システムのなかでは、人は自分自身を殺さないといけない。そうしないと生きられない社会になっています。

 たまに満員電車に乗ると「なんなんだ、これは」と恐ろしい気持ちになります。でもみんな平気で乗っている。平気なほうがおかしいんです。みなさんがふつうの人を見て、「なんであんなことができるの」と思ったら、それは正しい問いなんです。

――そんななかで自分を見失わずに生き抜いていくにはどうすればいいのでしょうか?

 「おかしい」と意識することです。システム全体が狂っていることを認識することが大事です。でも、そんなひどいシステムでも、それしかないから折り合いを多少はつけないと生きるための資源が手に入らない。どうやって最低限の折り合いをつけるかが問題です。

 折り合いをつけるためには、ふたつのものが必要です。それは「最低限のお金」と「友だち」。まず、生きるうえで必要なお金が少なくてすむところに移動する。家賃が安いところや食料が手に入りやすいところに行って生活する。そのうえで、必要最低限の収入をなんとか手にいれる。そうすればとりあえず生きていくことができます。

 そしてそれ以上に大事なのが、友だちをつくることです。友だちがいないと生きていくのは難しいです。少数でもいいから友だちをつくること。今はインターネットがあるから、つくろうと思えばどこにいても友だちをつくることができます。

 「必要最低限の金」と「友だち」。このふたつがあれば、なんとかなる、というよりそれが「人間が生きる」ということなのです。多くの人は、無意識に「自分のなかの最低限」を引き上げていってしまうので、ずっとお金が足りず、そのうえ、友だちがひとりもいません。

――なるほど。それでは最後に不登校をしている本人や親へのメッセージをお願いします。

 「学校なんか行くな、行かせるな」と伝えたいですね。なぜならあそこはものすごく危険で無意味な場所だから。意味のない情報を詰め込まれたうえに、友だちにいじめられて自殺に追いこまれたり、教師がセクハラしたり、えこひいきしたりする。なんでそんな危険なところに行かなきゃいけないんですか。

 そもそも学校のモデルは軍隊です。明治のはじめに読み書きそろばんと国民意識を植えつけるために学校をつくった。そんなことをいまだに続ける必要ないでしょ、と思うんです。

 昔は学校へ行かないと何も習えなかった。どこにも知識がなかった。本を読むだけでもお金がかかるので、学校にアクセスしたほうが効率よかったんです。だけど時代が進むにつれて、本を自由に買えるようになった。さらに今ではインターネットがあるから、学びたいことを学びたいだけ、タダで学べる。そんな時代に学校に行く意味なんてそもそもないんですよ。

 それに、知識というのは人に教えられて身につくものじゃありません。自分から学ばないと身につかないものです。「人に無理やり押しつけたって身につかない」、そんなこと本当は誰もがわかっていることでしょう。だから不登校はまったく問題じゃない。「不登校が問題になる社会」のほうが問題なんです。

――ありがとうございました。(聞き手・茂手木涼岳/子ども若者編集部)

【オピニオン】部分的な解決を目指した3つの提案

イメージイラスト(イラストAC)
イメージイラスト(イラストAC)

◎共感を集めたのなら

 インタビューは以上です。あらためて読んでみても、「社会のシステムが狂っているから、人は『自分自身じゃないもののフリ』を強いられ、それが苦しさの源になっている」という趣旨の安冨さんの発言は、とてもわかりやすいものでした。

 多くの人が共感したと思いますが、しかしなぜ「苦しさの源」は変えられないのでしょうか。これに対するひとつの答えは批判意見にもあったように「社会システム」という大きな構造に対して、個人の力ではどうすることもできない、ということでしょう。

 そうなると、すぐに社会システムは変えられないまでも「部分的な解決策」を講じながら、よりマシな方向へ進むことはできないのでしょうか。

 これまでの私が取材してきたなかで「部分的な解決策」といえるものが3点あったので、それを案として提案し、議論を深められればと思います。

1点目「価値尺度を変える」

2点目「非常口の見える化」

3点目「捨てた経験の共有」

 1点目の「価値尺度を変えること」は、安冨さんも指摘しています。具体的には「最低限のお金と友だち」を生きるための条件にしてはどうか、と。たしかにある程度ならば個人の価値観を変えることは、社会を変えなくてもできることです。

 2点目の「非常口の見える化」は、日本文学者・ロバート・キャンベルさんの提案でした。キャンベルさんは「いま大切なのは家庭や学校のなかでさまざまな非常口を子どもから見えるようにすること」だと指摘しています。

いま子どもたちには学校以外の選択肢はありません。しかし、いじめや体罰など周囲の大人からは見えづらい危機にさらされても逃げ場がありません。そこで意図的に「非常口」や「抜け穴」を周囲の大人がやれる範囲でつくっていくことを提示していました。

 3点目の「捨てた経験の共有」は私見です。

 安冨さんの発言が力強かったのは「捨てた経験」があったからだと感じました。

 安冨さんは長い研究生活のなかで「自分は男性のフリをしている」と、自分の性自認の違和感に気付きました。そこで男性のフリをやめて女性の服を着るようになったのです。安冨さんは「男性のフリ」を捨てました。

 不登校のなかにも、学校を捨てたからこそ「学校を相対化できた」「自分の人生を取り戻せた」と言う人がいます。不登校だけでなく「会社」「親の期待」「世間体」などを「捨ててよかった」と実感した人は多いのではないでしょうか。その経験が広く共有されることは「幅広い人生のロールモデル」が提示されることを意味します。

 私からの「部分的な解決策」の案は以上です。みなさんは安冨さんの問題提起を受けて、何が必要だと思いましたか?

『不登校新聞』代表

1982年東京都生まれ。中学校受験を機に学校生活が徐々にあわなくなり、教員、校則、いじめなどにより、中学2年生から不登校。同年、フリースクールへ入会。19歳からは創刊号から関わってきた『不登校新聞』のスタッフ。2020年から『不登校新聞』代表。これまで、不登校の子どもや若者、親など400名以上に取材を行なってきた。また、女優・樹木希林氏や社会学者・小熊英二氏など幅広いジャンルの識者に不登校をテーマに取材を重ねてきた。著書に『「学校に行きたくない」と子どもが言ったとき親ができること』(ポプラ社)『フリースクールを考えたら最初に読む本』(主婦の友社)。

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