日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

太子古墳|茨城県かすみがうら市 ~装飾古墳か~ 【常陸古代史探訪】

2019-10-06 16:31:37 | 歴史探訪
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 偶然発見した風返稲荷山古墳ですが、探訪してよかった。

 ・・・あれ、また古墳!

 うわー、Do not 看過!

 墳丘は見えませんが、説明板があるので近くに路駐できる場所を探します。

 辛うじてこの辺なら何とか。



 雨は本降りです。

 傘をさして行ってみます。

 横穴式石室が開口していますね。



 説明板。



 ほー、かつては60メートルの前方後円墳だったんですか!

 東国では十分大きいサイズ。

 でも今は横穴式石室周辺が残るのみなんですね。

 というか、え、装飾古墳!?

 石室には自由に入れるようになっています。

 狭いですが入ってみましょう。

 ストロボを焚いて石室内を撮影。



 いや、今時「ストロボを焚く」なんて言いますかね。

 天井側。



 床面。



 紋様見えますかね?

 ※実は現場では説明板をきちんと読んでおらず、玄室左右の壁面に注意を向けていませんでした。

 でも考えてみれば、もし紋様があったとしても、このように年中開けっ放しだと早々に消えてしまいますね。

 装飾古墳はクラツーの仕事で福岡へ行くようになってから強烈に興味を持ち始めました。

 高塚古墳だけでなく、横穴墓も装飾古墳の仲間として考えるとすると、ここ茨城以外にも、関東では神奈川・千葉もそういった古墳を築造した地域となり、福島県にも装飾古墳を見ることができます。

 例外もありますが、基本的に海から遡上できる河川近くにあります。

 装飾古墳は全国に満遍なくあるわけではなく、もっとも濃厚な地域は北部九州で、それ以外では上述の関東各地がとくに濃厚な分布域です。

 しかも北部九州の装飾とこちらの装飾は、ものによっては文化的なつながりも認められるので、その文化の伝播経路はいったいどのようになっていたのか、こういうのが好きな人たちはよく話題にします。

 でも古代史をやっていると分かってくるのですが、古代において関東と九州というのは海人(あま)にとっては決して遠い地域同士ではなく、海人のネットワークは現代の私たちの想像を超える凄いものがあったのではないかと考えられます。

 天気は悪いですが、心の中は晴れやかです。

 はい、では出発。

 (つづく)





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3 コメント

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Unknown (りひと)
2019-10-07 17:22:38
うわー!興奮です!
刀子で装飾古墳です。朱で紋様あり、おまけに入れちゃうし。

本当凄いですよね。この流れの方々は少ないんですけど確実に大昔から各地(いる所にはいる)にいそうですね、そうじゃないと古墳の作り出しは生まれないとも思うんですよね。

今日は旧暦の重陽!9/9これも関係してくると嬉しいんですよね。春日さんにも感謝です。
研究者さんの見解ぜひ聞きたいですね、模様とか時代とか。
Unknown (稲用)
2019-10-12 09:39:29
装飾古墳の壁画の模写で著名な日下八光さんの『東国の装飾古墳』で、太子古墳の壁画のことに触れています。

ただし、劣化する前の紋様の大きさなどの絵そのものについては書かれてはいますが、具体的な九州とのつながりなどの歴史背景だったり、歴史ロマンに浸れるようなことは書いていませんよ。
Unknown (りひと)
2019-10-14 14:34:32
まだまだ情報が足りないですね。
九州と繋がるとすぐ渡来だってされてしまうので出来たら繋がりたくないんですよね。関東東北オリジナル目指してます。少なくても関東には相当まだ古墳は埋まってるでしょうしそこが確立されてから九州いいです。
信州とは早めに繋がるといいんですけどね。

日本の歴史ってとっても今後楽しみです。古墳の出来方(好みの高さや地形)とかが見えてくると今後の治水にも役立つはずです。
本来治水上手な民族いたはずなんですよ、けど今進化していないって変ですよね〜?