現代時評《感染拡大五輪に突っ走る菅首相》井上脩身

――背景に安倍氏の「完全な形」発言――

東京オリンピックは観客を入れることになった。21日、政府、東京都、IOCなどの五者協議で、観客上限を1万人にすることに決定。菅義偉首相はG7後、有観客開催を決意したと思われるフシがあり、首相の意向にそった結論となった。政府の「新型コロナウイルス感染症分科会」の尾身茂会長ら専門家有志の「無観客提言」や、中止・延期を求める国民世論を全く無視しての強行開催である。その背景に、安倍晋三前首相の「人類が新型コロナウイルス感染症に打ち勝った証しとして、完全な形で開催する」との発言があることは明かであろう。「完全な形」に見せるため、観客数をさらに増やす可能性があると私はみる。

菅首相は6月7日の参院決算委員会で東京オリンピック・パラリンピックについて、「国民の命と健康を守れなければ、やらないのは当然」と答弁し、開催中止の可能性についてはじめて言及した。ところが13日、イギリスで開かれた先進7カ国首脳会議(G7サミット)の討議後、記者団に「(五輪開催について)全首脳から強い支持をいただいた。東京大会をなんとしても成功させねばならない」と発言。中止という選択肢を捨て、観客を入れての開催へのふくみをもたせた。
6月12日の東京都の新規感染者は467人である。感染を抑えている状況ではないにもかかわらず、菅首相の姿勢が変化したのは、G7の首脳たちと顔を合わせたことで、コロナ感染に対する視点が欧米的になったからに相違ない。累計感染者数が、日本は約78万人であるのに対し、アメリカ約3350万人、フランス580万人、イギリス約460万人、イタリア約420万人など、欧米先進国は桁違いに多い。欧米の首脳たちにとって、日本の感染レベルでのオリンピックの中止はあり得ない判断であろう。菅首相が直接そのように言われなかったとしても、空気は感じられたはずである。
国内でも、「日本の感染状況をみれば、五輪中止論は笑止」という声はある。しかし、我が国のコロナ向け病床は2万8000床と、感染症への対応可能な病床全体の4%に過ぎない。第4波中の3月1日~5月21日の間、大阪府では全国の23%にあたる973人が死亡、東京都の634人を大きく上回った。人口10万人あたりのコロナ病床数が東京都の半分にすぎないことが、死者激増の原因とみられ、医療崩壊に近い危機的な状況に陥った。ことコロナに対する医療体制に関しては、我が国は極めて脆弱な構造なのである。

菅首相は東京都など9都道府県について緊急事態宣言を6月20日の期限をもって解除した。しかし東京都では解除前の16日から3日連続で、新規感染者が前週の同日曜日を上回っており、感染増加傾向が顕著になっている。イギリス株以上に強い感染力があるデルタ株(インド由来のL452R変異株)の市中感染が影響しているとみられ、厚労省に感染対策を助言する専門家組織「アドバイザリーボード」が、東京都の今後の新規感染者数を試算。それによると、デルタ株の影響が小さい場合でも、7月半ばにはステージ4レベルになる見通しだ。五輪開催によって人流が10%増えた場合、8月下旬には2200人に達すると予想。人流が5%増でも1800人程度になるという。
冒頭に述べたように、尾身氏ら専門家有志は「五輪と夏休みが重なれば感染拡大のリスクがある」として「五輪は無観客が望ましい」と政府に要望。毎日新聞が19日に実施した世論調査では、「無観客で開催」31%、「中止」30%、「延期」12%で、「観客を入れて開催」は22%にとどまった。菅首相は専門家有志の提言を一顧だにせず、78%の国民の声にも耳を貸そうとしなかったのである。

安倍晋三前首相の官房長官であった菅首相である。安保法制に反対の態度を示した学者を日本学術会議の会員に任命しなかったこと、買収選挙事件で当選無効になった河井案里氏陣営に、自民党から提供された1億5000万円の支出決定者について口をつぐんでいることなど、首相就任後も、安倍前首相路線を引き継ぎ、安倍氏を守り通そうとしている。したがって、安倍氏の意図どおりの五輪開催は、首相にとって最重要義務なのである。
ここで安倍発言を検討したい。
まず、「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証し」である。常識的に解釈すれば、「感染を終息させた証し」という意味であろう。しかし、終息どころかデルタ株ウイルスがイギリスをはじめ各国に広がる一方で、ワクチンの接種率が開発途上国では極めて低く、「人類が打ち勝った証し」とはほど遠いのが現状だ。そこで五輪関係者は「コロナ感染のなか、スポーツの力で人類に感動を与える」などと説明する。「ウイルスに打ち勝ったので五輪を開く」から、「五輪を開くことはウイルスに打ち勝ったこと」へと、論理を巧妙にすり替え、国民をあざむこうとしている。
次いで「完全な形」である。「コロナの不安がなくなり、存分にアスリートが力を発揮し、観客席全体が大いに盛り上がる状態」が「完全な形」であろう。もちろん、これも望むべくもない。だが、G7の一員である経済大国として、世界中に「完全な形」らしく見せなければならない、と菅首相が考えたとしても不思議でない。
オリンピックの花は開会式である。国立競技場の収容人数は6万8000人。ここに1万人の観客と、スポンサーら関係者1万人を含めても、とても「完全な形」の外観にはならず、がら空きセレモニーを世界中にさらすことになる。これでは「ウイルスに敗れた証し」になりかねない。ということから、さらに例外を設けて観衆を増やすのでは、と私は疑う。具体的には、1万人枠の抽選に外れた人を救済する、との名目をつくることが予想される。いずれにせよ、「コロナの不安なき完全な形」ではなく、「感染リスクいっぱいの完全みせかけ形」という、いびつな形のオリンピックになるであろう。

東京オリンピックは、福島原発事故にともなう放射性物質について、「アンダーコントロール」という安倍氏のウソからはじまった。「新型コロナウイルス感染に打ち勝つ」というウソで昨年3月、開催の1年延期を決め、いま「国民の安全安心のための大会」とうウソで開幕に突き進んでいる。
私はこうしたウソまみれの五輪を「アベリンピック」と呼びたい。菅首相について、その強権政治ぶりから、「スガーリン」と多くの人が眉をひそめる。アベリンピックをスガーリンが強行すること、それは「五輪成功」という政治成果のためには国民の命や健康を犠牲にしてもかまわない、ということと同義である。これほど国民をバカにした政権はかつてあっただろうか。

ひとつの川柳で本稿をしめくくりたい。

スガーリン アベリンピックじゃ皆黙れ