私がパール判事(パル判事とも呼ばれる)の名を知ったのは、東京裁判に少し興味を持ってからのことだからそんなに昔のことではない。しかもその彼に対する知識たるや、東京裁判で裁かれている戦犯全員に対してただ一人無罪を主張したインドから派遣された裁判官という程度のイメージでしかなかった。

 ところで今年8月にNHKスペシャルで放映された「パール判事は何を問いかけたのか 〜東京裁判、知られざる攻防〜」を見て、おや、私が抱いているパール判事のイメージとは違うなと感じたのがもう少し東京裁判を知りたいとおもったきっかけになった。
 もちろん東京裁判そのものを以下に述べるように裁判官のすべてが戦勝国からの選任であって中立国の参加は皆無だったことを知ったことから、「戦勝国が裁判に名を借りた報復劇だ」と漠然とにしろ考えていたことも含めてである。

 8月は62年前の終戦(敗戦)の日だから、戦争にまつわる特集が多いのは当然のことかも知れないが、今年は特に同じNHKスペシャルで「A級戦犯は何を語ったのか 〜東京裁判・尋問調書より〜」であるとか、同じNHKの「その時歴史が動いた」で「外交の信念、時流に散る 〜宰相・広田弘毅の闘い」など、続けざまに見る機会があったことから特に東京裁判に刺激を受けたのかもしれない。

 そうは言っても東京裁判そのものが既に60年も前の事件である。力を入れて自らに検証し直そうと思うほどの自覚も意欲もいささか自信はないのが本音である。
 そんな時に最近図書館で「パール判事、東京裁判批判と絶対平和主義」(中島岳志著、白水社)を見つけた。本の背表紙には「パール判事」の活字が大きく書かれているものの、副題の方は小さい文字であんまり目立たないのでそのままだったら特に興味を引くこともなかっただろうが、先のNHKスペシャルなどで彼のことが頭の隅に残っていたからなのだろうか、ふと手にとってみた。

 読み始めてみて、私の抱いていたパール判事のイメージが事実とまるで違っていたことに改めて気づいたのであった。もちろん単に一冊の著書を鵜呑みにしてしまうことの危険は常にある。パール判事や東京裁判に関する研究は山のようにあるだろうし、判事の書いた判決書や彼の講演内容についても邦訳され出版されていることも知った。だからそうした原典に直接当たってこそ、東京裁判の意味やパール判事の考えなどをきちんと知ることができることだろう。

 それをしないでおいて、単にテレビのドキュメントや一冊の著書だけをもとにこんな風に発表しようとするのは不遜だと思いつつ、それでも私の長い間抱いていたパール判事へのイメージが誤りであったことは事実だと思えたのでその点を中心に少し述べてみたいと考えたのである。

 東京裁判とは極東国際軍事裁判のことである。1945年8月14日、日本はポツダム宣言受諾を決定して長い戦争の終結を迎えた。連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーがコーンパイプを口に飛行機のタラップから降り立ち、日本はアメリカの占領下に置かれることになった。
 そのポツダム宣言には「吾等は捕虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加へらるべし」(10章)とする文章が含まれていた。これこそが東京裁判の法的根拠である。

 翌1946年1月19日にマッカーサーはこのポツダム宣言に基づき、17条に及ぶ極東国際軍事裁判所憲章を公布、ここに東京裁判は始まった。
 判事(裁判官)は最初、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中国、オランダ、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドの9カ国をアメリカは予定していたようであるが、「捕虜であれ、一般住民であれ、日本軍の侵入した東南アジアやビルマの領土にいたインド国民は、日本軍の蛮行の犠牲になりました。・・・」とする中米インド自治領代表の意見などもあってインドからも裁判官が派遣されることになり、更にフィリピンからも参加して11名になった。このインドから派遣された判事がパールだったのである。

 東京裁判の意味や経緯をここに書こうとは思わない。私が感じたのは、パール判事が主張したとされる戦犯全員に対する無罪の意味であった。少し調べていくうちに、パール判事は決して東条英機や広田弘毅などなどの被告戦犯28名(天皇は訴追されなかった。判決前獄死2名、発狂による免訴1名を除き判決対象となったのは25名)の個々人の道徳的な戦争責任について無罪としたのではなかったことに気づいたのである。もちろん個々人の戦争責任が追及されている裁判である以上、その判断は個々人の責任の有無という形をとることは避けられない。

 だがパール判事は、この東京裁判のあり方そのものを疑問視し、その判決の効力を無効とすべく無罪の見解を述べたのである。無罪を主張することで、戦争とは何か、戦勝国とは何なのかを世界に問うたのである。
つまり彼にとっての東京裁判の被告は被告席に並ぶ戦犯ではなく、極東国際軍事裁判というシステムそのもの、戦争を裁くことの意味だったのである。

 多くは言うまい。彼の意見を彼自身の書いた判決書や講演の記録から抜粋することで示してみたいと思う。もちろんこの引用は上記の書籍からの孫引きであり、しかも私が気に入ったほんの僅かな部分であることは認めなければならないだろう。それにしても、彼、パール判事の考え方を僅かにもしろ伝えることはできるのではないかと考えている。

 「単なる占領、敗北および条件つき降伏あるいは無条件降伏が、戦敗国の主権を勝者に付与するものではないことは明らかである。征服前の法的地位は、軍事占領国のそれと同様である。戦勝国が戦敗国に関してどのようなことをしようとも、それば軍事占領国の資格において行うのである。軍事占領国は被占領国の主権者ではない」(P118)。

 「勝利は勝者に対して無制限で、しかも確定されない権力を付与するものではない。・・・現存する国際法の規則の域を超えて、犯罪に関して新定義を下し、その上でこの新定義に照らし、犯罪を犯したかどによって俘虜を処罰することはどんな戦勝国にとってもその有する権限の範囲外であると思う」(P119)。

 「国際社会において、戦争は従来と同世に法の圏外であって、その戦争のやり方だけが法の圏内に導入されてきたのである」(P123)。


 彼の主張の骨格は、裁判の基礎となった憲章に追加された「平和に対する罪」、「人道に対する罪」に対する疑念である。ともにこれらは遡及的な立法、つまり事後法として違法ではないかということであり、特に人道に対する罪については直接蛮行に加担していない被告人について「知っていながら禁止することなく見過ごした」とする共同謀議の観念が当時の国際法上確立されていたかどうかの疑念である。

 法あっての裁判官である。罪刑法定主義は少なくとも近代国家の要諦として存在しているはずである。ならば国際法として戦争を裁こうとする今、戦争を犯罪とする制度は確立されていたのか、戦争がいかに悪逆非道な振る舞いであろうとも、開戦当時既に国際法上の犯罪として違法性や有責性や構成要件が確立されていたのか、パール判事はそのことを問いたかったのである。

 何人も実行当時適法であった、もしくは違法とされなかった事柄について、実行後に制定された法令で処罰されることがないという遡及立法禁止の考え方は、近代国家の基本的なシステムである。このポツダム宣言やそれに基づく極東国際軍事裁判憲章はまさにこの遡及立法にあたるのではないのか。

 戦争とは一体何なのだろうか。戦犯を裁くというのは戦勝国による報復という意味を除くなら、一体何を裁くのだろうか。侵略戦争はそれこそ原始から続く戦争の歴史そのものであり、それを国際的な犯罪であるとする認識が世界的に確立されてはいなかったことは容易に想像できる。侵略行為のない戦争なんてかつて存在したことなどなかったのだから。

 ただ東京裁判における裁判官もまた真剣であった。そしてパール判事の疑念は少しずつ裁判官の中に浸透していった。裁判長が、そして11カ国そのものが望んだ全員一致の結論は難しくなっていった。全員無罪の見解はパール判事だけであったけれど、結局11名の判事のうち東京裁判の結論となったのは7名でしかなかった。
 分裂、そして崩壊の危機までをも含んだ東京裁判の行方は、一つ間違えば既に東京裁判と同様の理論構成で判決が下されていたナチスの犯罪を含むドイツを裁いたニュールンペルグ裁判をも根こそぎ否定する恐れすらあった。

 パール判事が記した独自の判決書は公開の法廷では一言片句も語られることはなかった。その内容が一般国民に知らされたのは判決後のことである。1946年5月3日の審理開始から2年半を要して1948(昭和23)年11月12日に絞首刑7名、終身禁固16名、有期禁固2名の25名全員に有罪の判決が下され、東京裁判は終結した。

 パール判事はこんなことも言っている。

 「あの戦争裁判で、私は日本は道徳的には責任はあっても、法律的には責任はないという結論を下しました。法というものは、その適用すべき対象をあれこれと選ぶことができないものです」(P282)。

 「(日本に対する)好意や親切心のためだと思ったことはありません。私は正しいことをしたかったのです」(上記NHKスペシャル、パール判事は何を問いかけたのか)。

 彼が戦犯全員を無罪としたのは国際法としての事後法の有効性や共同謀議の成立への疑念であって、決して日本の行った戦争を無罪としたのではなかった。むしろ南京虐殺と呼ばれている「パターン死の行進」事件などには嫌悪とも言うべき感情さえ示されてているような気がする(同上NHKスペシャル、パール判事・・・)。

 「みなさんは、つぎの事実を隠すことはできない。それはかつてみなさんが、戦争という手段を取ったという事実である」(P256)。

 パール判事が1953年に来日したときの講演である。この言葉は東京裁判での全員無罪の意見とは裏腹に日本そのものへの有罪をものの見事に言い切っている。
 そして「戦争によって戦争はなくならない」(P190)とも・・・。
 上述したNHKスペシャル(パール判事・・・・)は番組の最期を「2003年に国連において設置された国際刑事裁判所では、侵略の意義を巡って未だに議論が続いている・・・」と締めくくっている。

 そして戦争はあたかも拡大することが使命でもあるかのように世界中に広まってきている。でもこの東京裁判以降、国際社会が戦争責任を問うために法廷を開いて処罰した例を私は寡聞にして知らない。
 その事実はまさに現代の国際社会が戦争犯罪を裁く必要がないほどにも平穏で平和が続いていることの証左だと言い切っていいのだろうか・・・・・・。なるほどあなたは納得しない・・・、ふむ、ふむ、なるほど・・・、なるほど・・・。



                          2007.12.27    佐々木利夫


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