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ブルマはなぜ消えたのか!? 専門家に聞いてみた

「ブルマは、ブルーマーさんの名前に由来します。19世紀半ばの欧米では、コルセットで身体を締め付け、鯨の髭や鋼鉄でできたクリノリン(腰枠)でスカートを広げた服装がはやり、中産階級ばかりでなく下層階級も着用していました。このような服装を改良したのが、アメリカ生まれのアメリア・ジェンクス・ブルーマーで『膝下丈のスカートとゆったりしたトラウザーズ(ズボン)を組み合わせたスタイル』を着用しました。そしてこのスタイルのことを『ブルマ』と呼びました。友人の服装を模したものだったそうですが、当時は不評で、本人も8年ほどで着用をやめています。その後、1880年代にアメリカのサージャントスクールで女子の体操服としてブルマが採用され、ブルマの名前が残ることになりました」(掛水さん)

ブルマの起源はアメリカで、当初はスカートとズボンの組み合わせだった。そのブルマがいつ日本に伝来し、あの形になったのだろう。

「地域や学校にもよりますが、明治30年頃まで、女性は着物の着流しにたすき掛けで体育の授業を受けていました。その後、実践女子学園の創設者でもある下田歌子が考案した女袴に靴、束髪が広まり、少しずつ運動しやすくなりました。この頃、雑誌でアメリカのスカートとズボンの組み合わせであるブルマが紹介され、米国留学帰りの女高師の井口阿くりは『圧迫することなく運動に自由になる』と紹介しましたが定着しませんでした」

だが、ブルマは消えなかった。

「大正初期になると、くくり袴という、中央部分をとめて裾をくくる袴を着用することが増えてきました。そして大正末期頃からようやく洋式運動服となり、スカートのままか、スカートとズボンの組み合わせであるブルマを着用するようになりました。戦後、生理用品、化学繊維の発展とともに、ブルマはちょうちんブルマからぴったりブルマへと、長さや形、布地や下ゴムの有無などモデルチェンジを繰り返しながら学校体育着として生き続けましたが、1992年以降一気に消滅していきました」(掛水さん)

当時の女子らが自ら、ブルマは男性の性的な対象になるから嫌であるという声を上げ、消滅していったという。

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