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 「失った30年」。経済同友会が2022年10月11日に発表した提言に次のような一節がある。「バブル崩壊後の『失われた30年』は、自責の念を込めて敢えて『失った30年』と表現したい。特に、イノベーションによる社会変革は民間が主導すべきであり、企業経営者には日本再興を本気で成し遂げる気概に欠けていた」。

 その反省はよしとしよう。ただ、責任は経営者だけにあるのではない。同友会の提言でも「失った30年は政治・行政・企業による不作為」と記している。そして何よりも問題なのは、直近の10年間の不作為だ。少し前までよく使われたフレーズは「失われた20年」であった。本来なら、この10年は失われた20年を取り戻すべく、DX(デジタル変革)などの改革に全力で取り組まなければいけなかった。

 10年前から今日に至るまで、この問題意識は広く共有されていたはずだ。2012年12月に成立した第2次安倍晋三政権の経済政策、いわゆるアベノミクスでは、金融緩和や財政出動と共に成長戦略が「3本の矢」とされた。中でも重要なのが成長戦略で、規制緩和などにより民間の投資を引き出し、イノベーションによる社会変革や経済の持続的成長を促そうというものだった。

 ところが、成長戦略は不発に終わり、民間投資に火が付くまでの「つなぎ」のはずの金融緩和や財政出動がだらだらと続いてしまった。日本経済や企業の競争力低下に歯止めがかからず、国債や借入金などの国の借金がいたずらに膨らむばかり。その結果、世界的なインフレが進む中、日本銀行は政策金利を上げられず、円安が加速してさらにインフレが進むという、目も当てられない事態に陥っている。

「失った40年」もあり得るが

 失われた30年、失った30年はどれくらいの年月なのだろうか。例えば今の日本の礎を築いた戦後の高度経済成長期と比較してみる。日本の敗戦が1945年、そして1955年ごろから始まった高度経済成長期は1973年まで続いた。つまり、日本が敗戦から復興し、経済を飛躍的に発展させた期間以上の年月を丸々失ったことになる。