炭酸煎餅救った温泉むすめ、つながるファン・声優たち
【兵庫】有馬温泉と聞くと、思い出す味がある。薄くてパリパリ、ほんのり甘くて優しい、あの味。炭酸煎餅だ。
神戸・有馬の「三ツ森」は、1907年から炭酸煎餅を作り続けてきた。だが昨春、常務取締役の弓削次郎さん(48)は本気で思った。「歴史に幕を下ろさなければならないかも」。救世主が現れるまでは――。
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温泉街のメインストリート・太閤通に本店がある。子どものころ、祖父母に会いに行くと、おやつに炭酸煎餅を食べさせてくれた。「素朴で、どこか幸せを感じる味です」
職人だった祖父が2代目、父が3代目の現社長だ。大学卒業後、専門学校で和菓子の勉強をして有馬に戻った。
有馬で働く一員になってみて、そのブランドの重みを知った。「有馬ってやっぱり雰囲気あって、いいところだね」。観光客の会話を耳にするたび、誇らしかった。いつのまにか、来た人に「お帰りなさい」と声をかけるようになっていた。
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「有馬温泉がモチーフの、こんなキャラ知ってた?」
2017年5月、知人の温泉旅館の社長から言われた。全国各地の温泉のイメージを擬人化した「温泉むすめ」の姉妹キャラ。有馬温泉の金泉にちなんだ「有馬輪花」と銀泉の「有馬楓花(ふうか)」だった。
当時は有馬温泉観光協会の理事。若者世代を「聖地巡礼」のような形で有馬に呼び込めないか。温泉むすめを手掛けるコンテンツ企画会社「エンバウンド」(東京都渋谷区)に連絡を取った。
聞けば、温泉地の活性化につなげる事業だった。すでに声優が各地のキャラとして歌うアニメミュージックビデオも完成していた。さっそく有馬輪花の声優・本宮佳奈さんと、有馬楓花の桑原由気さんに観光大使をお願いした。
10月には三ツ森でキャラとコラボした炭酸煎餅を発売。声優がファンに商品を手渡すイベントを開くと、300人が訪れた。ほかの店もコラボ商品を販売するようになり、声優のトークイベントなども企画。いつしか、イベントのない日も有馬温泉にファンが集い、店に立つ自分にも声をかけてくれるようになった。
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昨春、温泉街から客が消えた。新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言が出て、三ツ森全10店を休業。4月の売り上げは前年より9割以上減った。
手元には、ゴールデンウィークに備えて用意した3カ月分の炭酸煎餅。何かやってみるしかない。静まりかえった工場で、自身のツイッターに「#在庫処分」のハッシュタグを付けて「炭酸煎餅を買って下さい」とつぶやいた。
「ピロン」。工場の帰り、スマホが鳴った。温泉むすめのファンがリツイート(転載)してくれた。すぐに「ありがとうございます!」と送った。
しまいかけたスマホが鳴った。すぐに、また、次々と。
声優2人もリツイートしてくれた。炭酸煎餅への応援メッセージをつけて。桑原さんは10万人、本宮さんも3万人を超えるフォロワーがいる。ファンらが拡散してくれた。
スマホから目が離せなくなった。なんだか、体がぞわぞわした。
「今は買いに行けないから微力でも応援したい」
「いつか有馬でただいまと言えますように」
そんなメッセージ一つ一つに返信した。「#炭酸煎餅」「#三ツ森」と検索し、ネット通販で買ってくれた人を探してお礼の言葉を送った。
在庫が消えるまで2カ月かからなかった。静かだった工場も、また動き始めた。
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忘れられないメッセージがある。不安に押しつぶされそうだったころ、ある声優から届いた。
「暗いニュースばかりでめいってしまっていたけれど、炭酸煎餅を食べたら幸せな気持ちになれました」
涙が出た。(西田有里)