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リベラルがやるべきことは安倍氏を罵倒して溜飲を下げることではなく、「リベラルが取りこぼしているもの」をいかに包摂できるか真摯に向き合うこと

(トップ画像はウィキペディアより。9月2日にアメリカの場合との比較について結構加筆しました)

これは「後編」なんですが、「前編」では、

最近、閣僚の中でもかなり海外経験も実務的知見も人格的余裕もありそうな茂木敏充外務大臣が、突然会見でキレた話がツイッターでバズっていた例をあげて、もちろんそれ自体望ましいことではないわけですが、そこにある「異文化コミュニケーションの難しさ」について深く考えてみることで解決策が見えてくるはず・・・という話をしました。

今回は、もっと一般的に「安倍氏」に対するこの巨大な感情的対立の背後にあるものは何なのか?という話をします。

●はじめに

過去最長の在任期間となっていた安倍総理が突然辞任することになって、色んな人が色んな事を言っていますよね。

私は経営コンサル業の傍ら「文通しながら色んな個人の人生に寄り添って色々と考える」仕事をしているのですが、その「文通相手」さんには「政治的」に分類すれば保守系の人もリベラル系の人もいて、

・昨日電車の中でスマホで安倍さんの辞任会見をLiveで視聴出来て、なんだかしんみりと泣いてしまいました。一夜明けて、今日あたりは「安倍ちゃんロス」な心境ですが、自分でもビックリするぐらいに「悲しんでいるなぁ。」って思います。

と言っている人がいるかと思えば、

・あの不誠実な国会答弁、災害対策の酷さ、公文書の偽造と破棄、報道の自由度の低下、世界と比較し女性活用が進まない、恣意的な記者会見、人事への介入など後世に残る愚行を犯す総理大臣が辞めてくれて大変ハッピーです。

と言っている人もいて、一応お二人とも僕の本とか読んで面白いと思って関係を持ってくれている人にも関わらず、同じ「安倍晋三氏という人間」についてこうまで評価が分かれるというのもなかなか興味深い現象だなと思いました。(ちなみに「文通」のクライアントの男女比はほぼ半々という感じですが上記の二人は女性です。)

この後者の「反安倍派」の文通相手の人が、「なんで安倍をそんなに支持できる人がいるのかわからない。むしろ教えてほしい」という話をしていたので、そういう視点で

あえて「安倍支持者は何を考えているのか」を解きほぐしていくことで、「安倍が許せない人たち」との間の相互理解可能な点はどういうところに生まれるのか?ということを考える記事

です。

また、この「安倍氏にまつわる強烈な感情的対立」は、そのままアメリカにおける「トランプ氏にまつわる強烈な感情的対立」とかなり似ていると思うので、ここから「世界共通の分断的課題を乗り越える可能性」が見えてくるはず・・・という話でもあります。

1●安倍政権の「評価」をしてみる(まずはポジティブな評価)

SNSでは、安倍政権が終わって、7年たってこんなに凄い成果をあげた!という人と、7年の間にこんなに日本は貧しくなった!と言っている人が、色んなデータを投げあいながら自説を完璧に「証明」しあっているのを見るのですが・・

ざっとまとめると、

1・そもそも毎年首相が変わっちゃうようなことにならなかったのはそれ自体ポジティブな面。

2・外交の基本路線として、新しい安全保障の枠組みの構想なしに気分でアンチ米国的な旗印を掲げて地域全体を不安定化させることはせず、今となっては世界の基調となった「中国政府の無制限的な対外拡張と強権的な国内支配を封じ込める路線」の重要な一翼を安定して担うことができた・・・これもポジティブな面でしょう。当初かなり「中国親和的」だったアメリカ政権がオバマ後期ぐらいから急激に対中対立姿勢を強め、今の「中国政府の強権をこのままにはできないという国際コンセンサス」を形成するに至った流れにおいて、安倍政権が果たした役割は地味に大きいと思います。

最近ファインダーズ連載で書いたように、「あんな強権的な政治政体のまま世界一の経済になられたら困るんだけど」という「当たり前なんだけど誰も言い出さなかった問題」を、今の「世界的大きな流れ」にまで持ってきた基調に安倍政権の安定性は「最初の一石のひとつ」ではあったと思います。

3・株価を高く保ち円安に誘導して「一応好景気」状態にすることで就業者数も増え自殺も減って一応税収も増えて・・・・みたいなところも、まあ評価できる。実際、「期間中に就職活動をした若い人」の安倍政権支持率が有意に高かったのは、民主党時代よりも「就活」が圧倒的に楽だった・・・ということによるとよく言われていますしね。

2●安倍政権の経済政策は高評価していいのか?

ただ、この「経済面での好調」っていうのはなかなか難しくて、そりゃもっと劇的な改善を起こせる人がいたら良かったんだけど・・・・という話ではあるんですよね。

なぜかというと「アベノミクスの成功」とは、なにか物凄く鮮やかな策を打って劇的に改善させたというよりは、金融緩和路線で色々と「無理」をすることで、とりあえず「過去の延長的な仕組みの中でなんとかうまくやれるように」弥縫してきたのだ・・・ということなんですよね。

「安倍政権の経済政策によって我々は貧乏になったのだ」といって、所得の平均値的なものが下がってきたデータを出すのが「反対派」では定番なんですが・・・

なぜそういうデータが出るかというと、要するに安倍政権は、

日本という国をある程度「安売り」してでもアピールしまくってとにかく買ってもらうことで、みんなで忙しくなってとりあえず好景気っぽくしたが、その結果「過去の延長」的な経済構造が温存されて高付加価値化が進まず、「貧乏暇なし状態」になってしまった

ていう状況ではあるんですよね。

この「安売り」と「好景気」って表裏一体だから、「好景気だったじゃないか!」と「(特にドル建ての数字を持ってきて)賃金下がったじゃないか!」みたいな罵り合いは本当に意味がないわけですよ。

「ドル建てで賃金が上がっていっても国内が空洞化しないレベルの十分な高付加価値化戦略を提示する」か、「まあまあみんなで寄り集まって我慢して頑張った・・・ことの功績をある程度は認めた上で話をする」のか、

どちらか一方

にするべきで、ただ賃金下がったじゃないか・・・とだけ言うのはフェアじゃないように思います。

それにこの「平均所得的な数字が下がっていく」ことには「数字のマジック」もあって、

就業者数がかなり増えて「分母」が膨らんだし、期間中に年功序列下で高級取りだった団塊高齢者層の大量退職もあったので、「所得の平均」的指標が下がるのはある意味当然というか、”反安倍”の言う人が言うほど全部安倍のせいというわけではない

ということは注意する必要があります。

もちろん、

決して手放しの大成功では全然ない

という評価は揺るがないわけですけどね。

3●では、マイナス面の評価は・・・

これはもう、さっき文通相手さんのコメントで紹介した、

・あの不誠実な国会答弁、災害対策の酷さ、公文書の偽造と破棄、報道の自由度の低下、世界と比較し女性活用が進まない、恣意的な記者会見、人事への介入など後世に残る愚行を犯す総理大臣

こういう評価がすべてだと言えるでしょう。

「民主主義の公正な手続きの遵守」こそが重要なのだ・・・というタイプの人からすれば許しがたいことだと思いますが、それだけじゃなくてこれ凄い重要なんですが、「安倍支持派」だって、この「ネガティブな面」とさっき書いた「ポジティブな面」を比較して

「まあポジティブな面のメリットの方がまだ大きい」

と思っているだけであって、公文書改ざんがどうこうとか、コミュニケーションが全然取れてない答弁とか会見とか、そういうのが「望ましい」と思ってるわけではないことを理解しないと、ちゃんと「異文化同士の対話」は成り立たないでしょう。

ただ、「優先順位が違う異文化」を持っている人たちがいるんだな、と理解して包摂していかないと、自分たちが持っている独善性に目をつむったまま相手側の不完全さを言い募るだけの無意味な叫びに終わってしまいますよ。


4●安倍氏がなぜ必要とされたのか?とちゃんと向きあわねば

要するに安倍政権の7年間というのは、熱烈支持者が言うほどバラ色だったわけでもないし、反安倍の人が問題視する問題はだいたいその通りだったと言えるわけだけれども、

「そういう選択を民衆総体として選択せざるを得なかった人々の思い」

を上から目線で断罪しまくる姿勢は、ちょっとゲスいんじゃないですか?という気が私はします。

そりゃ自分は「恵まれた存在」だから、「つかのまの安定」にすがりつく民衆を罵倒できる高潔な自分を思う存分ナルシスティックに味わえる「特権的地位」があるかもしれないけど・・・ねえ?

結局民主主義というのは「総体的な本能的民意」で決まっていく話ではあるので、先程の「メリット面」において、

「ただ混乱するよりはある程度押さえつけながらとりあえずの安定を成立させることを民衆は望んだのだ」

というふうに考えると、あまり頭ごなしに罵倒しまくるのも違うのかなと私は考えています。

別にありとあらゆることに「代案を出せ」というわけじゃないですが、たとえば米軍基地問題とかでも、その負担云々という問題を扱うなら、それと同時に東アジアの平和維持方法を自分たちなりに説得的で一貫したビジョンとして示すとか、そういう「路線として乗り換えてもいいというビジョン」を提示できるかどうかがやはりどうしても必要だったはずで。

”あの鳩山由紀夫さん”が以下のようなことを言っていて話題になっていましたが・・・


4●民衆がとりあえずの安定を望んでいるなら、何らかそれに答える姿勢を見せなくては

安倍政権は民衆が「色んな不正義と強引さとごまかしと引き換えにとりあえずの安定を望んだのだ」・・・としたら、勿論それ自体に関するいろんな批判も大事なんですが、それってブラックライブズマター的アメリカ人種差別問題で平和的デモじゃなく強盗とかやる一部の人たちをどう考えるのか?という話に似ている問題なはずですよね?

BLM運動に関連した「暴動や強盗を肯定するわけじゃないが、一概に否定しまくる気持ちにはなれない」というのと、安倍政権に頼った民衆の切なる願い・・・の中に私は同じ感覚を持っています。

そういう気持ちを持つからこそ、やはり

「リベラル派のビジョンの中で、人々が耐えられないレベルの混乱に陥らないような一貫したビジョン」

か、

「混乱の中でも自分たちはこっちに進んでいく価値がある道があるんだ。だから一緒に頑張りましょう」

か、少なくともどっちかは示す必要があったはずで。

個人的に、自分もリベラル派の一員として、そういう「総体的な代替ビジョン」を提示していこうと思って頑張ってきたし色んな人に呼びかけもしてきたつもりですが、まあ、力が足りなかったよね、という話ではあると思います。


5●「一番容赦ない市場原理主義から逃げて引きこもっていた価値」を活用しよう

で、今後についてなんですが、色々と悲観的なことを言う人が多いんですが、この7年間色々と「引きこもって変化に抵抗してきた」ぶんだけ、「世界の方も変化した」ので、結構これからは「ポジティブな」道もあるんじゃないかと私は考えています。

というのは、過去7−8年というのは、もう徹底的に「市場原理主義的グローバリズムの嵐」が世界中を吹き荒れていた時代だったですよね。

そういう時期に、フルオープンにそれにつきあってたら、日本は今のように「とりあえずは日常が安定してる。治安もそれほど悪化してない」国じゃなくなってたはずなんですよ。

もちろんそこで徹底して規制緩和ネオリベ市場原理主義路線で行ってたら、数字上マクロな経済指標的な成功とかはしてたと思うし、失業者は増えつつ平均賃金は増えて・・・みたいな数字になったと思いますが、社会の分断は物凄く大変なことになっていたと思います。

安倍政権ですら明らかに「市場原理主義ネオリベ路線すぎるだろ!」ってこれ読んでいるあなたは思うかもしれないけど、でも世界的な比較でいうと相当「穏健路線」の部類だったと言っていいと思います。世界一の高齢化の中で、溢れるほどの医療費補填とかは決してやめなかったし、解雇規制を緩和しろとか、そういう「ネオリベの普通な政策」もだいたい骨抜きにしながらやってきましたからね。

逆に安倍政権という重しがあることで、ポピュリズム的に「あまりにも経済がわかってない」無理やりな政策を取って没落をはやめるリスクも抑止できた・・・ところはあると思います。

要するに「成功は全然してないが、大失敗を避けるために全力を尽くしてしまって疲れ果てた7年半だった」って話なんですよね。

世の中には「もっと容赦ない市場原理主義政策」をやった国が溢れていて、その方がマクロな経済パフォーマンスは高かったんですが、そういう国は今だいたい国が二分されて延々と「政治的混乱」をしていることが多いように思います。

そこで「色々と民主主義の手続きをごまかしてでも、一番血も涙もない市場原理主義からは距離をおいていっときの安定を得た」という「国民の本能的総意」みたいなものは、私はなかなか否定できないものだと思っています。

6●今後の見通しについて

で、今後なんですが、8年前に「引きこもるのをやめる」と徹底的に寒風吹きすさぶ混乱の中に身がさらされる状態になってたわけですが、「今後」そういう道に入っていくとすれば、それは8年前にそれをやっているよりはマシな可能性もあると私は感じています。

それは、世界中が「日本と同じ問題」を抱えていくにあたって、そこに「欧米文明とも中国的な強権とも違う可能性」といった「オリジナルな旗印」をたてられる文脈が整ってきたからですね。

「世界の趨勢と噛み合った、他にないオリジナルな旗印」があった上で「変化」を求めて動いていくことは、何らかの軸の通った高付加価値化戦略を実現させられる可能性を生み出します。少なくとも8年前に何の準備もなく血も涙もない市場原理主義に裸で飛び込んでいた時よりは、「主体的なリード」のもとで変化していける可能性もあるでしょう。

そのあたりのことについてはゼロからここで全部書くのは難しいので、とりあえず今年出した拙著「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います。

結局、安倍政権が「日本をあえて引きこもり状態にしていた」には、それ自体意味があったわけなので、ただ単に安倍がいかに個人の振る舞いとしてゲスなのか・・・って言って批判しても状況は変わらなかったと思うんですが。

今後は、そういう「世界の今と噛み合った新しい道」が見えてくるはずだと私は考えているので、そしたら別に「引きこもってごまかして政権を無理やり維持する」必要もなくなってきて、別に改ざんとか全然対話になってない答弁とか、そういうのをやり続ける必要もなくなるのではないか?と考えたりしています。


7●「リベラル派が、リベラル派の世界観の外側にある存在をいかに包摂できるか」

この8月は、半ばぐらいにアメリカ民主党が「バイデンで行くぞ」と正式に決めて、それまでやってた内輪もめをやめて世界中のリベラルメディアと共鳴しあって強烈なプロパガンダをはじめ、またそれを警戒した世界中の保守派がカウンター的なプロパガンダをしまくっていたので、個人的にはどんどん強烈な嵐に巻き込まれていくような体感の中で生きていました。

8月中旬以降、あまりに「世界中にバカでかい嵐が来ている」体感だったので、個人的には安倍氏が月末に辞意表明したのも自分でも意外なほど驚かなかったというか、「そりゃこんだけ世界中が激変してりゃそれぐらいの変化は日本にも起きるよね」という感じでした。

で、「これから」なんですが、結局、

「リベラル派が、リベラル派の世界観の外側にある存在をいかに包摂できるか」

これにすべてがかかってくると感じています。

前々回のnoteで書いたように、

例えばアメリカの場合でいえば・・・

「我々の日常生活を守ってくれる警官の命も大事だし、黒人の命も当然大事だし、どうやったら改善していけるか考えたいですね」

という程度の発言ですら、徹底的に罵倒されてしまいそうになる昨今のアメリカの状況は、

そういう態度が、いわゆる”隠れトランプ支持者”を静かに強力に増やしまくっているのではないか?


とかなり私は心配しています。

誰が銃を持ってるかわからないアメリカで警官やるって本当に大変なことなんで、

「今日も命の危険をおかしながらコミュニティの治安を守ってくれている多くの警察官たちに私達は敬意を払っているし、問題は一部の黒人と見れば攻撃的になる偏見を持った警察官をいかに掣肘するかなのだ」


的な、

「デモ隊と暴徒を一緒にするな」の論理を「警官」の側にも向けるようなキャンペーン


をちゃんとやることは、「バイデン側の選挙戦術」としても不可欠なことではないでしょうか?


8●トランプ派はこの「弱点」を徹底的に突いて来るぞ!

今トランプ派はこの点を物凄く徹底的に突いたキャンペーンを繰り返していて、民主党側はどんな破壊的行為をやる人間だって擁護するし、ちゃんと秩序を守って生きている人間を憎んでいるアナーキストなのだ、みたいな広告をバンバン打っていて、最初はかなり差があったバイデン氏との支持率差もジリジリ狭まってきているわけですけど。

私はそこでなぜ、「問題なのは差別的行動を取る一部の警察官であり、命をかけて治安を守ってくれている多くの警察官への敬意を私達は失っていない」という程度のことをちゃんと明確なメッセージとして出せないのか?本当に不思議な気持ちになっています。

むしろ、

「ほんの一部の暴徒のせいで、多くの”平和的な抗議者”が濡れ衣を着せられているのだ!」

的な、

人種差別への抗議を徹底する形で暴徒に対する厳しい意見を表明するメッセージ

だって工夫できるはずなのに、なんでやらないのか?

・・・・と思っていたのですが、その「なぜ米国民主党はそれをやらないのか?」についてツイッターで慶応大学の中山俊宏教授に質問したら、丁寧に以下の返答を返してくださいました。

(文中の「サリバンの論考」というのはこの記事のこと。

中山先生が「自分のこのツイートですらキャンセルされかねない」と書かれている”キャンセル”というのは、最近政治的過激派が、自分の”正義”の基準から見て気に入らない公職者を徹底的にクレームを入れてクビにしてしまう運動のことを指します。

”上記程度の”発言ですら”キャンセル”対象というのは明らかに行き過ぎではないでしょうか?

もちろん、アメリカにはアメリカのやり方があるんだろうから、コレで本当に「押し切って勝ちきれる」んならいいけど、でも明らかにジリジリと世論調査の「差」は縮まってしまっているわけですよね。

「人種差別問題に対して勿論取り組むべきだが、それは関係ない商店を襲ったり焼き討ちにしたりすることを容認することではない」

・・という程度のメッセージすら明確には出せない・・・という運動が、本当に社会運営に対する態度として正当なのか?一度考えてみないと。

「そういう意見に自己陶酔しているインテリ」さんはたいていお金持っていて、治安悪化して大変なトラブルに巻き込まれるような地域には決して住んでいない可能性が高いわけで、場合によっては昨日までワイワイ「暴動」を応援してたけど、自分の家の近くで暴動が起きたら激怒したり警察呼んだりした・・・というような話もよくシェアされており、「そういう欺瞞」って本当に真実のパワーをもって人々を説得できるものなんでしょうか?

これは、中国問題にしても同じで、

この記事↑で書いたように、先進国内のリベラル派は、自分のところの「権力者」をあらゆる細部まで批判したいがために、隣国の「もっと強権的な政府」のことに凄く甘くなってしまいがちだったりするんですよね。

そういう「リベラル派のバグ」の部分を、トランプ的な存在は突いてくるわけですが、それは「リベラル派が持っている閉じたインテリ世界だけがすべてだと考える独善性」を反映しているわけですよ。


9●民主主義の手続きをちゃんと守れるマトモな世界にしましょう

要するに、「リベラル派の世界観が見えてない範囲の現実を無視している」から、安倍氏やトランプ氏といった「無茶」をやる人たちによって埋め合わされる必要があった・・・のだと考えると。

私達は、その「今までのリベラル派が狭いインテリサークルの中だけで閉じてしまっていた問題」を、「その外側のリアリティ」までちゃんと拡張していく課題に向き合う必要がある。

もしそれができたなら・・・

そりゃね、民主主義の手続きをやぶってあれこれ改ざんする政権とか、会見で突然「フェイクニュース!」とか叫ぶアメリカ大統領とか、そんなのないほうがいいに決まってますからね。

私はなんとかリベラルな理想の最終的勝利を信じて、なんとか実現させたいと思っています。

でもそのためには、「(現時点での)リベラル派の理想についてきてくれない民衆」を「断罪」しはじめたら終わりだってことです。

それやりはじめたら、もう「中国みたいな政体でいいじゃん。アホな民衆どもにつきあってくのはやめようぜ。エリートの自分たちが全権握っていった方がいいに決まってるじゃん」的な世界まであともうほんのちょっと!で突入してしまうことになりますよ。


10●バイデン受託演説ぐらいまでは希望が見えたんだけど・・

「闇と光の戦い」とか言ってた(笑)バイデン氏の受託演説は個人的には結構いいなあと思って、「新しい時代来るかも?」ぐらいには思っていたんですが、その後あまりに米国民主党支持者の人たちが「治安の悪化を恐れる普通の民衆感情」を無視して罵倒しまくるようなことが多くて、トランプ派の分断工作にまんまとハマりまくっているのを見て、「だんだん未来が見通せなくなってきたな」と頭を抱えています。

もし「リベラル派が取りこぼしている問題」もちゃんと「リベラル派」が包摂できれば、そりゃ国際協調でプレッシャーかけた方が対中国政策だってスムーズに決まってますから、今世の中でイメージされてる「バイデンは中国に弱腰」ってこともないはずです。

ただ・・・まあ、どうなりますことやら。結構ジリジリと「4年前のリベラル派にとっての悪夢」の再現が近づいてるんじゃないかという予感がしてなりませんが・・・

言いたいことは、「リベラル寄りに共感してるけど、過激すぎるとついていけない」というようなレベルの層をちゃんと包摂できないで罵倒しまくってるだけだと、あっちこっちの「愚民ども」を上から目線で罵倒しまくるのは大変お気持ちがよろしいかもしれませんが、リベラルは負け続けるぜってことです。

つまり

「徹底的に排外主義でイッちゃってるタイプの一部の安倍氏の支持者とかトランプ氏の支持者」

は無視してもいいけど、

この記事で書いたような「民衆が安倍氏に対して望んだ切なる願い」

を断罪して悦にいってるようじゃリベラルの未来は暗いぜってことです。

今回の無料部分はここまでです。

以下の有料部分では、今、ある「政治学者」の人がメチャクチャ「安倍政権支持者」をバッタバッタ罵倒しまくって悦にいってる記事がバズってるんですが・・・

ああいうのって本当にゲスいというか、本来あるべき「知識人の義務」を果たしてないカスだ!と自分は思っているという話をします(笑)

普段あんまり誰かを名指しで批判したりとか絶対しない主義だったんですが、ちょっとあまりにもあんまりにゲスい感じがしたので、(有料部分でだけど)一応自分の考えを書いておこうと思いました。あまり長々と言いたくないので簡潔にですが、普段は絶対言わないようなことをちゃんと「言う」ことをあえてやることにしました。

2022年7月から、記事単位の有料部分の「バラ売り」はできなくなりましたが、一方で入会していただくと、既に百個近くある過去記事の有料部分をすべて読めるようになりました。結構人気がある「幻の原稿」一冊分もマガジン購読者は読めるようになりました。これを機会に購読を考えていただければと思います。

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また、この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。


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