ペットボトルは洗って、ラベルとキャップを取ればリサイクルができる。

今では広く知られることだが、その“当たり前”が広まる背景には、リサイクル技術の向上に奔走した人たちがいる。今回はその一人、栃木県小山市に本社を置く協栄産業株式会社の社長、古澤栄一氏に取材を行った。

これまでペットボトルは卵パックや洋服などにリサイクルされるのが一般的だった。しかし、形を変えてリサイクルをすると、最終的にはゴミになってしまう。

そんな中、日本ではじめて、使用済みのペットボトルを100%の原料として、また新たなペットボトルにリサイクルする技術「ボトル to ボトル」に挑んできたのが同社だ。この技術なら、半永久的に資源を循環させることができる。

その技術は、これまでペットボトルをプラスチックに戻し、繊維など別の用途で使用するのが主流だったリサイクル業界に大きな影響を与えている。その証拠に、国内外からの視察の受け入れや、メディアへの露出が絶えない。

そんな協栄産業が創業されたのは1985年のこと。創業者であり、現在も代表取締役を務める古澤栄一氏がリサイクル産業に興味を持ったのは1979年のことだという。

まだ環境ビジネスへの関心も薄かった時代に創業し、35年の時を経て環境ビジネスの先駆者となるまでには、どんな歩みがあったのか話を聞いた。

「子どもたちが安心して暮らせる未来を作りたい」使命感に駆られて創業

――創業のきっかけを教えてください。

1979年に始まったオイルショックがきっかけですね。オイルショックって聞いたことあります?

――学生時代に社会の教科書で見た記憶がありますが、詳しくは……。トイレットペーパーをみんなが買いだしたやつですよね?

そうそう。原油の供給が追い付かなくなって、原油の価格が上がっちゃって、それによって世界経済が混乱したんですよ。そのとき、日本中が昨日まで普通に生活していたのに「どうしよう」と狼狽えだして、急にトイレットペーパーや石油製品を買い占めたんです。

それに街中を彩っていたネオンは半分以下に。石油不足によって、それまでの生活ぶりは一変しました。

そんな光景を見て「もう大量生産・大量廃棄の時代は終わるな」と思いました。そして「子どもたちの時代に資源が無くなってしまったら、今のような生活ができなくなったらどうしよう。なんとかしないといけない」と、使命感に駆られたんです。

それで、行きついたのが使い終わったプラスチックを捨てるのではなく、リサイクルし再び資源として繰り返し利用するという考えでした。

ペットボトルリサイクルに着目

ーーそのような経緯で、環境ビジネスに携わることになったのですね。

はい。1985年、29歳の時に全財産350万円で会社を設立し、たった一人での挑戦でした。当時、ポリエチレン、ポリプロピレン、ポリスチレンなどの戦後からある汎用樹脂は、既にリサイクル事業者が取り組んでおり、新しく参入する余地がほとんどありませんでした。

そこで家庭用のビデオテープに着目しました。当時はVHSとβの規格争いの最中で、ビデオテープは技術ノウハウの塊でした。技術漏洩を恐れて焼却や埋め立てで処分されていたビデオテープを回収して、カーペットや作業服にリサイクルをする事が、当社設立時の主な事業になりました。

会社設立前に、会社に務めながら工業技術院(現在の産業総合研究所)に通い、「廃プラスチックを石油に戻す技術(油化)」やリサイクルについて勉強したことが役に立ったのです。

ただ、私たちの前に新たな壁が立ちはだかりました。

――何があったのでしょう?

為替レート安定化に関する合意、通称プラザ合意が成立してしまって、円高に進んで行きました。そのため、全国的に工場がどんどん海外に出ていってしまい、一気に経営は厳しくなりました。そのころに目を付けたのが、新しく飲料容器として流通し始めたペットボトルです。

ペットボトルは、新しい素材のため、リサイクルに取り組んでいる事業者もなく、また以前リサイクル行っていたビデオテープと同じ樹脂が使われており、過去のノウハウが活用できることも当社にとって幸いでした。

そしてペットボトルリサイクルを行っていくなかで、ペットボトルは添加物を含まないピュアな単一樹脂でできているため、もう一度ペットボトルに戻す事が出来るのではないかと考えるようになっていったのです。

ペットボトルとともに20年。常に順風満帆なわけではなかった

――なるほど。ペットボトルをペットボトルに戻す技術は当時の日本には普及していたのでしょうか?

いえ。未だにペットボトル100%で、再生ペットボトルを作っているのは弊社だけですから。その構想を言い始めた1988年当時は「言っていることはわかるけど…さすがに無理じゃないか」と、誰からも相手にされませんでしたね。

使用済みペットボトルをペットボトルに戻す「ボトルtoボトル」の技術が国から認められたのは2011年のことですしね。

――1988年から2011年……とすると、20年以上も発信されていただなんて…。途中で無理かもしれないと思ったことはなかったんですか?

自分の中で「絶対に正しい」と思っていたので、自分を信じ切ること、伝えることはぶれずに続けました。もしもペットボトルを再びペットボトルにすることができたら、新たな石油を使わないものづくりができ、未来の子ども達に石油資源を残すことができると信じていたので。

創業当時と変わらぬ思い「子どもたちの未来を守りたい」

――聞くところによると、今は国内の飲料メーカーをはじめ、世界中から視察や問い合わせが来るんですよね。

そうですね。日本で唯一の技術を持っているということもあって、引き合いをいただいてます。これまで「実現不可能だ」と逆風にさらされることの方が多かったので、ありがたい話ですね。

――前例のない技術を追究し続けて、世界から注目される企業となった今、古澤社長が実現したい未来とはどんな未来なのでしょう?

たしかに技術は確立しましたが、まだまだ環境のためにできることの5%にも満ちていない、スタートラインに立ったばかりというのが正直なところです。

だから、CO2の削減や、限りある天然資源を未来に残すためにも「ボトルtoボトル」の考え方をどんどん広めたいですね。そして、世界的に展開していくことで、私が創業当初に描いていた夢、「限りある資源を未来の子供達に残したい」を実現できたらなと思います。

テクノロジーが進む中、これから環境に向き合う必要性はさらに高まることが予想され、今、世界中の学生たちから注目を集めている環境ビジネス。

そのやりがいを古澤社長に聞くと「環境ビジネスは、時代を変えられる仕事だ」と話してくださり、関わる人一人ひとりのやりがいが大きいことを感じた。


こうして世界から注目される“環境ビジネス”のリーディングカンパニーとなった協栄産業では、現在127名が働いている。

実際に働く3名の社員さんに、現場で働いていて感じることを伺った。

左側:仁見雅人さん(業務・資材部・資材課)
中央:船田美帆さん(営業アシスタント)
右側:松本敬済さん(営業部 環境ソリューション課)

未来を変える、時代を変える仕事に携われる喜び

――松本さんは営業職とお伺いしていますが、環境ビジネスの営業職っていったいどのようなことをされているのでしょうか?

松本さん:自治体や取引先にプラスチック材のリサイクル方法を提案して、仕入れを行い、その再生原料の販売までを行なっています。

――仕入れから販売まで?どちらも提案するのは、大変なのではと思ってしまいますが…。

松本さん:私も最初は驚きましたが、1つの企業から資源を回収し、それを販売するとなると、最初から最後まで「自分が面倒を見る」という使命感があり、やりがいも大きいです。

それに加えて、原料となるプラスチック材は、値段が決まっていないのが特徴。言ってしまえば、自分のアイデア次第でいろいろな提案ができます。

自分の知見を活かして、どのように活用するかまで策を練ったうえで値付けし提案できる。自由度の高さは、協栄産業の営業だからこそ感じられる醍醐味なのかなと思いますね。

――なるほど。マニュアルのない自分の腕が試されそうな仕事ですね。お仕事をしていて、やりがいを感じるのはどんなときですか?

松本さん:環境ビジネスという仕事そのものが、地球の未来を変えるような大きな仕事だということですね。自分の提案次第で当社が提唱している使用した資源を、再び資源として再利用する循環型社会の実現へ少しずつ近づいているんだなと思うと身が引き締まる思いです。

また、取引先様が大手企業だということ、皆さんが手にしているような製品や一度は見たことのあるものに生まれ変わっているという点で、人に誇れる仕事だなとも思います。

専門性の高い仕事だからこそ、心理的安全性も高い環境

日本初のメカニカルリサイクルによる、再生PET樹脂「MR-PET」を100%使用した「ボトルtoボトル」を実現している協栄産業。

独自の技術を持つ企業ならではだからこそ、業務には特別な知識がいるのではないかとイメージしてしまうが、文系出身者でも活躍できる環境なのか。資材管理を行う仁見さんに話を聞いた。

――仁見さんは現在、資材管理の仕事をしているとのことですが、入社前からリサイクルや環境ビジネスへの知識は持っていたのでしょうか?

仁見:いえ。大学では経営学部に所属していたので、入社当時、専門知識はほぼありませんでした。ただ入社して最初の2年は工場勤務をしていたことや、日々アップデートされていく情報が共有されるので、問題なく勤務できています。

――工場勤務も経験されたんですね。どんなことをされていたんですか?

仁見:ペットボトルなどのプラスチック材の加工に携わっていました。基本的に、細かいところは機械が自動で対応してくれるので、操作や工程を覚えれば対応できます。

――なるほど。当時の業務が現在の業務に生きているなと思うことはありますか?

仁見さん:やはり効率のよいやり方や、マニュアルにはないような細かい部分は業務を通してわかった気がします。もしいきなり資材管理の仕事をしていたとしたら、気を配り切れていなかったであろうことまで考えて業務に取り組めるのは、本当にありがたいことです。

――そうはいっても、専門的な技術に関する知識を取り入れるのって一筋縄ではいかないことがあると思います。そういう場合はどのように取得しているのでしょうか?

仁見さん:ありがたいことに先輩方が、本当に話しやすい空気感を作ってくれているので、調べてもわからないことはすぐに質問するようにしていますね。わからないことをわからないと言える環境は本当にありがたいなと思います。

年に1回、社員全員が参加する社員旅行が催されることもあって、人間関係が円滑になるような仕組みもある職場です。

目の前のこと一つひとつに取り組む

――船田さんは、6年目とのことですが、普段はどのようなお仕事をされているのでしょうか?

船田さん:高校卒業後に入社して以来、事務として働いています。主に営業の方が提案した案件のフォロー、例えば国内外のお客様とやり取りをすることが多いです。

――海外ともやり取りをされるのですか?専門的な知識や単語がある上に、貿易事務となるとかなり難しそうな印象なのですが。

船田さん:そうですね。入社当初は特に英語が得意だったというわけでもなかったので、自分にできるかなと不安でいっぱいでした。

――どうやって苦手を克服したんですか?

船田さん:わからない単語が出てきたときにまずは翻訳サイトを頼るのですが、それでもわからなかったら先輩に質問します。先ほど、仁見さんがおっしゃった通り、先輩方に聞きやすい環境なので、いつも助けていただきながら仕事をしています。

(編集後記)

環境ビジネスの中でも先駆け的な存在であり、高い技術力を持つ協栄産業を支える社員さんたちからは、自分たちの仕事へ誇りを持っている様子が感じられた。未来をつくるうえで誰もが無視できないのが、環境への配慮だ。

さらに重要な立ち位置を担う存在になっていくに違いない。

お問い合わせ先

協栄産業株式会社 総務部 総務課 採用担当宛
本社:栃木県小山市城東2丁目32−17
メール:n-tanaka@kyoei-rg.co.jp
採用ページ:http://www.kyoei-rg.co.jp/company/recruit.html

制作:小山市 株式会社kaettara
撮影:BremenDesign

記事のご感想・メルマガ登録はこちら