ビジネスマンはなぜ茶道に魅了されるのか

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POINT
■日本の伝統文化を代表する茶道に対するビジネスマンの関心が高まっている。

■コロナ禍を機に自分と向き合う時間が増えたことや、気軽に通える茶道教室が増えたことが背景にありそうだ。

■茶道の精神は「和やかな心、敬い合う心、清らかな心、動じない心」を表す「 和敬清寂(わけいせいじゃく) 」に集約され、ビジネスの世界でも役立つ場面が多い。

■平常心を保つ効能もあり、先が読みにくい不確実な時代を生き抜く術も学べそうだ。

調査研究本部主任研究員 高橋徹 

 経営者やビジネスマンの間で、日本の代表的な伝統文化の茶道への関心が高まっている。新型コロナウイルスの感染拡大が長期化し、自らと向き合う時間が増えたことや、気軽に通える茶道教室が都心などに開設されたことが追い風になっているようだ。パナソニック創業者の松下幸之助やアップル共同創業者のスティーブ・ジョブズら名経営者をとりこにした茶道の魅力に迫りたい。

4畳半の「小宇宙」

 東京・東銀座の歌舞伎座の大屋根を見下ろす雑居ビルのエレベーターを降りると、眼前に茶室が現れた。背の低い 手水鉢(ちょうずばち) に役石を置いた (つくばい) で手を清め、 (にじ) り口と呼ばれる約60センチ四方の出入り口をくぐると、そこには4畳半の静寂な「小宇宙」が広がる。 杓子(しゃくし) ですくったお湯を 茶碗(ちゃわん) に注ぐ音が心地よい。

 ここはグローバル茶道家の竹田理絵さんが主宰する茶道教室「茶禅」の茶室「 双龍庵(そうりゅうあん) 」。ハードルが高いと思われがちな茶道を「誰でも気軽に体験してもらいたい」と、2015年に教室を開設した。

『世界のビジネスエリートが知っている 教養としての茶道』を出版したグローバル茶道家の竹田理絵さん(東京・銀座で)
『世界のビジネスエリートが知っている 教養としての茶道』を出版したグローバル茶道家の竹田理絵さん(東京・銀座で)

 竹田さんは、花街として栄えた東京・神楽坂の出身で、祖父が掛け軸の職人、母が茶道の講師と“和の文化”の環境で育った。大学卒業後、外資系企業に就職し、上司や先輩社員が外国人客から茶道など日本文化について尋ねられても、答えられない光景を目の当たりにしたことが、茶道教室を始めるきっかけになったという。

 これまで欧米などで開催された茶道のデモンストレーションに参加し、王室や企業トップ、ビジネスエリートの予備軍が集まる米ハーバード大などで茶道の奥義を教えてきた。こうした経験をもとに21年夏、『世界のビジネスエリートが知っている 教養としての茶道』(自由国民社)を執筆。オフィス街の書店を中心に話題を集め、茶道ブームに火を付けた。茶道の魅力について、竹田さんは「茶室は日本の伝統文化が凝縮された総合芸術であり、季節感や五感を楽しめる場所でもある。疲れた心をいやし、周りの人への思いやりや気配りといった人生を豊かにするノウハウが学べる点ではないか」と話す。

 同じ銀座で、茶道や和装、抜刀術などの日本文化が学べる教室を運営する「HiSUi TOKYO」には、和の心を求めて多くの経営者やビジネスマンら120~130人が通う。グローバル人材の育成・研修事業を手掛けるスパイスアップ・ジャパン(東京都)の豊田圭一社長(52)も茶道に魅了された経営者の一人だ。合気道の有段者でもある豊田さんは、サムライ・スピリットに憧れ、20年2月から月に4回、足を運んでいる。

茶道に加え、抜刀術、和装、書道など日本文化を学べる教室を運営する「HiSUi TOKYO」(東京・銀座)。教室内の茶室「翠庵」で茶道を学ぶ豊田圭一さん(右)
茶道に加え、抜刀術、和装、書道など日本文化を学べる教室を運営する「HiSUi TOKYO」(東京・銀座)。教室内の茶室「翠庵」で茶道を学ぶ豊田圭一さん(右)

 安土桃山時代の茶室を再現したという「 翠庵(すいあん) 」で、着物姿に着替えた豊田さんは、掛け軸や生け花に込められたおもてなしの心に思いを寄せながら、真剣な表情で一杯の茶を () てることに集中する。豊田さんは「あわただしく走り続けている毎日の中で、茶道の稽古は一歩立ち止まるような心を落ち着ける時間になっている。『一服の清涼剤』のような効果をもたらしている」と語る。

今、求められる「和敬清寂」の精神

 日本文化を代表する茶道だが、これまでどういった経過をたどって現在のスタイルが確立されたのだろうか。お茶の起源には諸説あるが、紀元前2700年ごろ、中国・雲南省で初めて茶樹が発見されたという説が有力だ。雲南省はメコン川の上流、ミャンマー、ラオス、ベトナムと隣接する土地で、現在も茶の古樹が多く残る。

 もともと日本に茶は自生しておらず、平安時代に中国の最新の文化を学ぶために留学した僧侶が日本にお茶を持ち帰り、お茶を飲む文化が広まったという。当時、お茶は貴重な飲料で、宮中など一部の上流社会だけの楽しみだった。鎌倉時代に 臨済宗(りんざいしゅう) の開祖である 栄西(えいさい) が、中国から禅宗とともに茶の種を持ち帰り、お茶の粉末を湯の中に入れてかき混ぜる抹茶の飲み方を伝えた。これが武家社会で一大ブームとなり、茶の栽培に適した気候の京都・宇治など各地に産地ができた。南北朝時代に入ると、庶民の生活にも少しずつ広がり、次第に喫茶の文化が定着した。

 娯楽性の強かったお茶を禅の教えと融合させたのが、茶道の祖と称される 村田珠光(むらたじゅこう) だ。珠光は、禅の思想を受けた「茶禅一味」をベースに不完全なものや簡素なものに美しさを見いだすわび茶(茶の湯の一種)を創案した。これにお茶室や茶道具、作法を含めて体系化したのが、堺の商人で今年生誕500年を迎える 千利休(せんのりきゅう) で、現在の「茶道」の原形である「茶の湯」を確立したと言われる。

 茶道の精神は「和やかな心、敬い合う心、清らかな心、動じない心」を一語で表す「 和敬清寂(わけいせいじゃく) 」の4文字に集約される。「何日も前からお客様を思い、礼を尽くし、お花一輪、和菓子ひとつにしても季節感を取り入れ、心を込める」(竹田さん)という究極のもてなしともいえる。

 前出の『教養としての茶道』によると、ビジネスで成功を収めた松下幸之助は42歳で茶道に出会った。財界人が集う茶会で、お茶の作法を知らず、恥をかいたことをきっかけに無心に茶道に打ち込み、毎朝、静寂の中で抹茶を点てて、心を整えてから仕事に就いていたという。幸之助は、茶道を通じて、誰に対しても分け隔てなく謙虚に接する素直な気持ちを学んだと伝えている。

 スティーブ・ジョブズも茶道の精神である禅の「不要なものをそぎ落とし、できるだけシンプルに考える」という思想を大事にし、簡素でスタイリッシュなデザインにこだわったアップル製品の開発にも採り入れていたという。

首脳間のおもてなし

 茶道は、国際政治の舞台でも効果を発揮したことがある。1983年(昭和58年)11月に来日したレーガン米大統領とナンシー夫人をもてなすため、中曽根康弘首相は、東京・日の出町の山荘に招き、自ら点てたお茶を夫妻に振る舞った。当時の読売新聞(83年11月12日付朝刊)は、中曽根氏のお 点前(てまえ) の様子を興味深そうにのぞき込むレーガン大統領とナンシー夫人の写真を1面に掲載した。

お茶を自ら点てて、レーガン米大統領夫妻にふるまう中曽根康弘首相(当時、右)(1983年11月、東京・日の出町で)
お茶を自ら点てて、レーガン米大統領夫妻にふるまう中曽根康弘首相(当時、右)(1983年11月、東京・日の出町で)

 中曽根氏は「日本食を食べると若返りますよ」と日本食をアピールした上で、ナンシー夫人に日本茶をプレゼントすることになった話を本紙は伝えている。こうしたおもてなしを受けて、すっかり打ち解けたレーガン大統領と中曽根首相の「ロン・ヤス関係」は、一層強固になったという。

 米ソ冷戦時代、国内外の様々な課題と向き合っていた中曽根首相は、在任中、毎週日曜日に禅寺で座禅を組み、精神を集中させていた。自著の『自省録―歴史法廷の被告として―』(新潮社)の中で、中曽根氏は「和尚は、よけいなことは何も言わないで、私が行くとお茶を立ててくれて、それから1時間座禅を組んで、それが終わると今度は緑茶を頂いて、しばらく話し込んで帰ってくるのです」「(座禅は)肉体的・精神的クリニックでした。1週間の肉体的精神的苦悩と疲労が洗い流されるのです」と首相時代を振り返っている。

「現代の武士」のたしなみ

 茶道は、現在では女性の習い事という印象が強いが、もともとは武士のたしなみだった。織田信長や豊臣秀吉ら戦国武将が愛好し、幕末の動乱期に日本を開国に導いた江戸幕府の大老・井伊直弼もすぐれた茶人として知られる。直弼は「宗観」と号し、自ら流派を主宰するほど茶道にのめり込み、自著の『 茶湯一会集(ちゃのゆいちえしゅう) 』で、人生に一度きりの出会いとして、心を込めてもてなす茶の湯の精神を体現した「 一期一会(いちごいちえ) 」を世に広めた。

「HiSUi TOKYO」を主宰する海渡翠寿会長(東京・銀座)
「HiSUi TOKYO」を主宰する海渡翠寿会長(東京・銀座)

 HiSUi TOKYOの海渡 翠寿(すいじゅ) 会長は「生きるか死ぬかの戦いが求められる武士にとって、極めて緊張感の高い時間と対極にある静寂の時間は心の平静を保つためにもかなり大切なものであったのではないか」と解説する。

 その上で、ビジネスの世界でしのぎを削るビジネスマンと武将を重ね合わせ、「目に見えない敵である新型コロナウイルス感染症と向き合うビジネスマンにとって、茶道で得られる一瞬の静寂は、欧米で広がっている仏教的な瞑想法『マインドフルネス』の効能があり、クライアントと商談する時に相手に寄り添う気持ちを学んでいるのでは」と分析する。

 前出の豊田さんは「現代は、変化が激しく、何が起こるか予測しづらく、しかも様々な事象が複雑に絡まって、何が正解なのかが分かりにくい『VUCA(Volatility=変動性、Uncertainty=不確実性、Complexity=複雑性、Ambiguity= 曖昧(あいまい) 性)の時代といわれる。コロナ禍はその典型例だが、こうした状況下でも、私たちビジネスパーソンは判断や状況を見誤らずに成果を出すことが求められる。特にリーダーと呼ばれる人たちにはその責任が大きくのしかかる。茶道で一つ一つの所作に意識を集中させることが、平常心を保つことや自分を見つめ直すことにもつながっている」と話す。

 長期化するコロナ禍で閉塞感が広がる中、人を思いやり、自らと向き合う茶道を通して、疲れた心をいやす経営者やビジネスマンが今後も増えそうだ。


参考文献
竹田理絵『世界のビジネスエリートが知っている 教養としての茶道』(2021、自由国民社)
熊倉功夫『井伊直弼の茶の湯』(2007、国書刊行会)
中曽根康弘『自省録―歴史法廷の被告として―』(2004、新潮社)
岡本浩一『一億人の茶道教養講座』(2003、淡交社)


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