「暴れん坊将軍」の版間の差分

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== 概要 ==
1970年代後半当時、TBSの『[[水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター)|水戸黄門]]』は平均視聴率30%超であったが、時代劇そのものは「'''冬の時代'''」と言われていたという。その状況を打破すべく、「『[[遠山の金さん]]』のような“当たり狂言”(※客入りが良い芝居を指す語)を増やすと同時に、新しいスターを育てる」ことで時代劇に新風を吹かせようと、産声を上げた。
土曜日午後8時の番組は[[TBSテレビ|TBS]]の『[[8時だョ!全員集合]]』がファミリー層、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の『[[全日本プロレス中継]]』が高年齢層から人気を得る一方、テレビ朝日は[[テレビ朝日土曜夜8時枠時代劇|土曜時代劇枠]]の『[[人形佐七捕物帳 (1977年のテレビドラマ)|人形佐七捕物帳]]』([[松方弘樹]]主演版)が視聴率一桁台に低迷したため新人を起用することになり、[[勝新太郎|勝プロダクション]]から売り込みがあった松平が選ばれた<ref name="nomura">[[能村庸一]]『実録テレビ時代劇史 ちゃんばらクロニクル1953-1998』 東京新聞出版局、1999年、241-244頁</ref>。
 
当時、土曜日のゴールデンタイムはTBSの独壇場で、特に最高視聴率50%をたたき出すほどの超人気番組だった『[[8時だョ!全員集合]]』([[TBSテレビ|TBS]])がファミリー層、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の『[[全日本プロレス中継]]』が高年齢層から人気を得る一方、テレビ朝日は[[テレビ朝日土曜夜8時枠時代劇|土曜時代劇枠]]の『[[人形佐七捕物帳 (1977年のテレビドラマ)|人形佐七捕物帳]]』([[松方弘樹]]主演版)が視聴率一桁台に低迷したため、当時から牙城を崩すことは困難な状況だった。主人公の徳川吉宗役には、知名度はあまりなかった松平健(当時23歳)が起用された。当時の所属事務所である[[勝新太郎|勝プロダクション]]社長である勝新太郎が「178センチの長身と端正な顔立ちは、時代劇の主役でいける」と売り込み、テレ朝日との面談の末、テレ朝日の重役は、「吉宗は、[[ロッキード事件|ロッキード]](事件)後の[[三木武夫|三木]](武夫)首相に似ている」という発言にヒントを得て、受け入れたのだ。実際の徳川吉宗の身長は180センチと言われており、史実とピッタリだったという。
新人の起用に際し、新たな企画が起こされた。「[[征夷大将軍|将軍]][[徳川吉宗]]が[[江戸]]市中を徘徊し大立ち回りを演じる」という内容は局内でも物議を醸したが、視聴率はスタート時の9%から徐々に数字を上げ、1年後には15%を超える人気番組となった<ref name="nomura"/>。
 
新人の起用に際し、新たな企画が起こされた。「[[征夷大将軍|将軍]][[徳川吉宗]]が[[江戸]]市中を徘徊し大立ち回りを演じる」という内容は局内でも物議を醸したが、当初ワンクール13回の放送予定だったが、4月以降も放送されると、松平への注目は集まり、視聴率は初回の視聴率は8.7%からさらに上がってゆく。そして、1979年4月7日放送回で初めて15%を突破し、制作の続行が決定。テレビ業界では視聴率15%台以上がゴールデンタイムにおける「人気番組」「高視聴率番組」とされており、放送開始から1年3カ月でその仲間入りを果たしたのだ。スタート時の9%から徐々に数字を上げ、1年後には15%を超える人気番組となった。
 
シリーズ12作と最終回スペシャル・復活スペシャル・[[2008年]]末のスペシャルの3本を合わせた放映回数は計832回と、同じ俳優が演じた単一ドラマとしては[[大川橋蔵 (2代目)|大川橋蔵]]の『[[銭形平次 (大川橋蔵)|銭形平次]]』888回に次ぐ長寿番組である。新作の制作とレギュラー放送は終了して久しいが人気は根強く、地上波やCS放送<ref>[[2010年]][[5月]]から[[時代劇専門チャンネル]]で第1シリーズからの放送が開始される。<!---2010年1月22日のスポット番宣から---></ref> などで頻繁に再放送が実施されている。特に2010年代の[[時代劇専門チャンネル]]においては、シリーズ各作がほぼ常時放映されている。また、[[BS朝日]]でも、2018年4月2日から平日の午後に再放送されている。(高校野球などで休止となる場合もある)